【好き】NUMBER GIRL②
家に到着後、早速KENWOODのマイコンポでCDを再生してみる。
1曲目。予想よりもポップなメロディーのギターイントロが鳴り始めた。しかし、音の質感はとても荒く、一言で言えば学園祭バンドの演奏のような感じだった。事前に確認していたこのロックバンドの各種情報からして、私は勝手ながらもっと激しめのロックサウンドをイメージしていたため、正直肩透かしを食らった。と思った直後、ボーカルが入ってきた時に最初の違和感を覚えた。
ボーカルが何て歌っているのか全然聞き取れない。
それまで自分が聴いてきた音楽はボーカル=歌が中心だった。音楽を聴く時はいつも「どんな歌詞がどんなメロディで歌われているのか」に注目し、いかに素敵で斬新で共感できる歌詞がグッドメロディに乗って歌われているかが、自分にとって「好きな音楽」「良い音楽」の判断基準の軸だった。つまり、16歳ごろまではサウンド要素よりも歌詞の意味や世界観または言葉遊びなどテキスト要素のほうが、自分の中の音楽的価値のシェアをより多く占めていたと言える。(以降、このロックバンドがそのシェアに大きな変化をもたらした。)
しかし、このロックバンドの音楽はどうだろう。ボーカルは時に声を荒げて歌っているようではあるが、声が楽器の音の中に埋もれており、リスナーに対して歌(詞)を聴かせようというつもりがまるで感じられない。逆に、ギター、ベース、ドラム、そしてボーカルの音が渾然一体となって鼓膜を震わせるそのサウンドは、今まで感じたことのない耳触り(あるいは耳障り)だった。
歌中心で音楽を楽しんできた自分にとって、歌詞が認識できないという状況は、2、3、4曲目とアルバムが進んでいくにしたがって徐々に不満へと繋がっていった。少し慣れてくれば聞き取れるようになるかもと、自分の耳とCD双方に期待をかけてみたものの、あいにくそれぞれが歩み寄ることはなかなか難しかった。
歌詞が一向に聞き取れない状況が続く中、ついに私は「耳で無理なら目でいったろかい」と思い立ち、CD付属のブックレットを広げてみた。(思えば最近はCDで音楽を聴くことがめっきり減ったが、歌詞カードを見ながらコンポの前に張り付いて音楽を聴くというスタイルはこれまたオツなものだった。)その直後、私は肝心の歌詞チェック前に2回目の強烈な違和感を覚えたのだ。
メンバー全員がまったくもってロックバンド然としていない。
一般的にロックバンドのメンバーといえば、革ジャンだったり、髪色が派手だったり、シルバーアクセサリーだったり、足元がドクターマーチンだったり、、、思わずパンクロックの事例が多くなってしまったが、このようなアグレッシブな見た目をイメージする場合が多いと思う。(もしかしたら今の時代はもう違うかもしれない。)
しかし、ブックレットの写真に写るこのロックバンドのメンバーたちはどうだろう。男性3名、女性1名の計4名全員が、見た目・雰囲気ともにどこにでもいそうな感じで、めちゃくちゃ普通な(どちらかといえばむしろ控えめそうな)人といった佇まいをしている。「学校のクラスだったら隅っこの少数グループに属するタイプだろうなこの人たち」・・・正直そんなことを思った。
しかし、その中で唯一、異質かつ妙な印象を受けたメンバーが1名いた。メガネの男性だ。実年齢よりも少し老けて見られるであろう20代塾講師といったルックスで、ファッションも決してオシャレとは言えず、その(メガネ)姿と「ROCK」を自分の中で結びつけることがどうしてもできなかった。
ただ、その時。男性のメガネの奥にあるその目に対して、ある種のヤバさを感じたことは今でも覚えている。それはまるでこれから何をしでかすかまったく読めないような不穏や狂気を内在する目だった。
そうこうしているうちにアルバムは進んでいった。5、6、7曲目あたりなど、それはそれはもう何を歌っているのかまったく聞き取ることができなかった。しかし、その一方でふと気づいたことが2つあった。
1つは、ボーカルも含めてバンド全体の音がアルバム序盤の曲よりも、よりタイトに、より強靭に、より攻撃的になってきていること。もう1つは、今まで他の音楽では感じることのなかったような感覚・・・それは「何か」に対して焦っているような、怒っているような、フラストレーションが溜まっているような、そんな類のものが伝わってくること。一体この感覚は何だろうか。
そして、アルバムは8曲目を迎える。
それは「私の人生を(良くも悪くも)変えた音楽」と言っても過言ではないロックミュージックの記念すべき第1回目の再生だった。
つづく