5月のShhh - In between
『ビッグ・リトル・ファーム』というドキュメンタリー映画を観た。映画製作者/カメラマンである夫と、料理家の妻がロサンゼルスのアパートを引き払い、カルフォルニアの郊外にある200エーカー(東京ドーム約17個分)の土地に引っ越し、新規農業を始めるところから映画は始まる。
まるで絵本に出てくるような農場を夢見て引っ越した先は、長年の干ばつに曝され荒れ果てた砂の大地。2人はミミズコンポストを作り、被覆植物を植え、ため池を作り、動植物を育て、さらに野生動物を呼び込むことで、その地に生命を呼び戻すことへ挑戦する。
8年間におよぶ農場の軌跡の中でとりわけ印象的なのは、農場に起こるあらゆる問題を生物多様性を高めることで解決していくこと。例えば、柑橘植物を枯らしてしまうカタツムリの大量発生には、カモを農場へ放し餌とすることで対応する。ネクタリンをついばんで傷つけてしまうムクドリには、鳥の巣を設置し野生のフクロウやタカといった猛禽類を呼ぶことで解決する。放牧された鶏を大量に虐殺してしまうコヨーテでさえ、大型犬に見張らせることでコヨーテの狙いをモグラへと変えさせ害獣退治に役立たせる。
すべての生物には必ず役割があること。そして生物多様性を高めることによって、いきもの同士の連鎖が生まれ、サークル・オブ・ライフが自然と回るようになり、災害にも強い持続可能な形になっていく様をありありと見ることが出来るという、なんとも嬉しくなる記録だった。
もうすぐ続編として『The Biggest Little Farm 2』も観れるようで、そちらも楽しみ。
ちなみに、このドキュメンタリー映画『ビッグ・リトル・ファーム』のことは、世界中から土くさいニュースレターを届けてくれる SOIL系メディア 堆肥倶楽部 で紹介されていて知りました。(Shigematsu)
今月の映画
『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディールマン』(監督=シャンタル・アケルマン、1975、ベルギー・フランス)
アケルマン監督のこの言葉は、本作の本質を最も端的に表している。
主婦の日常生活を、定点観測により文字通り「観察」する本作は、主婦の単純反復作業を執拗に観測する事で、ゆっくりと進行する。その設定は自分の人生のやりきれなさや閉塞感、苛立ち、そのような言葉として表出されない感情を浮かび上がらせる装置として機能させている。
そして2日目から徐々に徐々に、しかし確実に苛立ちの糸は張り詰められていく。この糸は確実にこれから先、必ず切れる未来が訪れるだろう、そう誰もが確信し出す。この緊張感は、ある意味ホラーのようだ。
時を忘れさせるのでなく、時間の経過を感じさせる事で成立する、映画文法。映画とは「時間をどう表現するか?」なのだ、と再発見する驚異的な体験。(Utsunomiya)
今月の展示
『大蒔絵展』(MOA美術館)
日本文化において、長く理想美の象徴であり続けた蒔絵。平安から鎌倉、室町、桃山、江戸、現代と、蒔絵の千年の歴史を一気に辿る事のできる、文字通りな大蒔絵展。
特に平安から室町までの貴族文化によって形成された、詩情的で文学的な繊細な蒔絵の美しさ。膨大に手間と時間の掛けられた蒔絵の技法に、過去の文学的引用と暗喩を何重にも込めた美しい四季の風景は、時を鑑賞し、時に贅を見出す芸術のようにも感じられてくる。
蒔絵は、漆によって細やかに描かれた絵の上に、金粉を「蒔く」事で蒔絵となる。膨大な技工と時間が積み重ねられた先に、パッ!と蒔かれる金粉が舞う様、その一瞬。そんな光景を想像するだけで目眩を覚えないだろうか。(Utsunomiya)
今月の本
『Nicolas de Stael』(著=ニコラ・ド・スタール、2003)
1950年代、主にフランスで活動していた画家ニコラ・ド・スタールの作品集。具象と抽象の間を行きつ戻りつしながら描かれたような作品は、荒々しく野性的なエネルギーと同時に、瞑想を誘うような静謐な印象を持ち合わせている。
写真集を眺めていると、まるで音楽の中の風景あるいは、小説の中の風景のような「知覚したことはないけど想像したことのある風景」が眼前に立ち現れる世界に、時間が立つのを忘れて没頭してしまう。
未だ写真集でしか作品を見たことがないので、いつか本物を見てみたい。
日本では箱根にあるポーラ美術館で現在1点が展示中とのこと。
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