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2024年4-8月に読んだ本

苦海浄土 / 石牟礼 道子

いつか読もうと長年思いながらもタイトルや作者名の醸し出す厳めしさ、水俣病の記録であることから、この本はきっと怨怒に満ちた本だろうと勝手に思い込み、重そうで手が出なかった。しかし先日、石牟礼さんの「食べごしらえおままごと」を読んで、その光あふれるような文章に打たれ、やっと本書を手にとった。自分の勝手な思い込みとは全く違い、水俣病に対する強い怒りへ共振することなく、一つひとつ水俣を慈しむように紡がれた文章だった。ご自身の作品を怒りを増幅させるものにはしないという決意があったのだろうか。ものすごい人だとしか言えない。

食べごしらえおままごと / 石牟礼 道子

文章が輝いている。というと大げさな比喩のようだけど、そうとしか言えないくらいに文章が光りに包まれ眩かった。書かれているのは、親戚が集まり餅をついた日のこと、両親と野草を摘んで団子を拵えた日のことなど、「食」を中心とした日々の暮らしのことばかり。ささいな日常は祝宴として描かれ、そこには幸福が溢れている。あまりに明るく、あまりに楽しそうなので、こんな日々が本当にあったのだろうかとも思える。本を読み進めていくと「そんな日々はかつて確かにあった。今はもう失われている。」ということも分かってくる。ただ、失われたものは、この文章を読むたびに何度でも甦る。文章が現実以上のものを喚起できることがよく分かる素晴らしいエッセイだった。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか / 三宅 香帆

日本における読書と労働の関係についての歴史が紐解かれ、その変遷を辿ることができる。明治時代から始まった「自分の読みたいものを読む」という趣味としての読書が、時代とともにどのように移り変わり、日本人の労働観と関わってきたかという視点が抜群に面白い。そして、これまでの労働観を超えて、この先はどのような読書と労働の関係を築いていけるかの提言にも胸が打たれる。言葉はあくまで柔らかいけど、芯が熱く、じわじわと読み手の体温を上げてくれるような一冊だった。

蓑虫放浪 / 望月昭秀、田附勝

蓑虫山人、14歳のときに郷里を出て以来48年間にわたって諸国を放浪。生活用具一式を背負い旅をし、各地で文人らと交流し、庭を造り、書・画を残す。考古学に深い関心を持ち、遺跡発掘調査にも度々足を運ぶ。有名な亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶の発見者も蓑虫山人ではないかという一説もある。縄文への関心は、ますます高まり明治28年におそらく世界初である「縄文展」まで開催している。本書の28Pでは著者は蓑虫山人のことをこう語っている。

蓑虫山人 ― 絵の技術にはムラがあり、立派な人物でもなければ有名でもない。定職にも就かず、各地で人の好意に甘え、勝手に遺跡を発掘し、変な格好をして、変な行動をして、風呂上がりにのぼせて死んでしまったような人物だ。

28P, 蓑虫放浪

そんな漂白者の生涯を丹念に追った1冊。面白くない理由がない。最高でした。

しをかくうま / 九段理江

こうした圧倒的な作品に稀に出会えるから、本を読むのをやめられない。小説でもあり詩でもあるこの作品には、神話のような荘厳かつ荒唐無稽なシーンもあれば、バイオテクノロジーや優生思想への倫理観を問うSF的な展開もある。それらを「競馬」というモチーフを軸に据えることで、現実世界になんとか繋ぎ止めている。中盤以降、小説が放つ疾走感は圧倒的で、読んでいて目眩すらするなか振り落とされないように必死に捕まっているだけだった。何が書いてあったのかさえ、ほとんど分からない。そうした忘我の境地へ連れて行ってくれた。エクスタシーそのものだった。

経営リーダーのための社会システム論 / 宮台真司、野田智義

経営リーダーではないので本のタイトルにはとっつきにくいが、宮台真司さんの講義がとにかく面白く、自分たちがどういう社会に暮らしているのかを足元から遥かな地平線まで明るく照らしてくれる。特に本書の後半、VR・マリファナ合法化・ベーシックインカムが「新反動主義」や「加速主義」といった主義の元で並列に扱われていることを解説し、大きな問いを投げかける箇所は心に響いた。これからも消化することなく長く残り続けていく問いだった。

動的平衡ダイアローグ / 福岡伸一

福岡伸一がカズオ・イシグロ、平野啓一郎、ジャレッド・ダイアモンド、千住博らといった錚々たる顔ぶれと対談する読み物。どの対談も面白いが「現代のダーウィン」とも呼ばれるジャレッド・ダイアモンドとの対談は特に印象的。福岡伸一が「子どもの教育方針として、他人に迷惑をかけない、といった徳目は世界的に見て特殊ですか?」と尋ねたところ「欧米でも、伝統的社会(パプア・ニューギニアのような)でも、他人に迷惑をかけるかどうかはほとんどの場合で、どうでもいいことであり子どもに求めるものではない」というような回答をサラッとしていたところ。回答の内容というよりも、回答するのが難しいような幅の広さをもった問いであっても、経験に裏付けされた知識があるから、こんなにも簡単に答えれる。というところに痺れた。『銃・病原菌・鉄』を寝かしていたので、改めて読んでみようと思った。

マシアス・ギリの失脚 / 池澤夏樹

読むとすぐに眠くなってしまう催眠効果の高い本だった。とはいえ、つまらないということでもない。南洋の架空の国の大統領が主人公に据えられ、その地で起こる不可思議な出来事が物語を横断するように行き交う。マジックリアリズムと言ってしまえば、まさにそうした感じなんだけど、ラテンアメリカ文学のような厳しさはなく、どこか柔らかさや穏やかさ、日陰な感じのする不思議な魅力のある本だった。もし著者を池澤夏樹と知らずに読んだとしたら、小説の舞台である南洋の国で書かれた小説だと信じていたと思う。


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