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第0回 「雨のゆうべ──『失われた時を求めて』日記」

 昨年の夏、『失われた時を求めて』を手に取った。未来をなくし、喪にとらわれ、何も変わらない日々のなかで、まわりのことだけがどんどん過ぎてゆく、きっとそのことがおそろしくなったのだろうと思う。『失われた時を求めて』を読みながら、その都度日記を書こうと思い立って、匿名アカウントでnoteを作って、投稿した。そのまま時間が過ぎて、しばらくしたら、『文學界』で『失われた時を求めて』特集が組まれているのを知った。

 運命論者の自分は、その符号に何かただならぬものを感じた。一方で、天邪鬼の自分は、同じことをしたくない、というねじれたルサンチマンを抱えた。いくつかの原稿を書くことに手一杯だった自分は、あれこれと理由をつけて、『失われた時を求めて』を読むことをやめた。

 結局いつもそのようにして読むことをやめてしまう。それでも、魂が縋ることのできる場所を探していたぼくは、ロラン・バルト『喪の日記』を読んでから、ふたたび『失われた時を求めて』を手に取った。今度は『文學界』も読んでみると、保坂和志と対談をしている柿内正午が『プルーストを読む生活』(H.A.B)という日記をまとめた書籍を出していることを知り、ここでもまた驚くほどの符号(何しろぼくは保坂和志がとにかく好きなのだし)だが、事ここに至っては、ほとんど嫉妬に近いものを感じた。

 そうしてぼくはたった一度きり書いた記事を開いて、アカウントと一緒に消した。わざわざ匿名で書くことでもないかと思い直して。喪からはまだ抜けだしていない。それどころか、抜け出す前に、忘れ去ってしまいそうだ。そのことに不安すら覚えている。一刻も早く、こんな辛いことが去ればいいと思っていたというのに──。だからむしろこれはひとつの「喪の日記」なのだ。

 この先、自分がどう生きようと、つなぎとめてくれるもの、それがひとつでも多くあればいい。きっといくつか中断を挟むだろうけれど、そう思って、続けてみたい。

*ここで読むのは鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を予定しています。特記ない場合、引用はすべて同シリーズのものとなります。

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