レフ・シュブニコフとアレクセイ・シュブニコフ
表紙の写真は,太ったレフ(シュブニコフ)と痩せたレフ(ランダウ).
二人はハリコフ物理工学研究所で親友でした。
以前のnote記事に,Лев Васильевич Шубников(1901-1937)レフ・ヴァシリービッチ・シュブニコフとАлексей Васильевич Шубников(1887-1970)アレクセイ・ヴァシリービッチ・シュブニコフに関するものを書きましたが,その後にわかったことを整理してここに掲載します.
レフ・シュブニコフは,「シュブニコフ=ド・ハース効果」に名を残し,アレクセイ・シュブニコフは,「シュブニコフ群」に名を残しました.どちらも素晴らしい物理学の業績です.
ロシア人の名前は,(名・父称・姓)のセットで構成されています.ここでとり上げるレフとアレクセイの父称を見ると,2人ともに,“ヴァシリービッチ”ですから,彼らの父は同名でヴァシリーであることになります.ということは,14歳差のこの2人は兄弟である可能性が高いと私は推理しました.その上,顔まで似ているとくれば、これはあり得ることです(ネットで探した2人の写真をご覧ください).
念のためそれぞれの父の名前を調べたところ,レフの父はВасилий Васильевич Шубниковヴァシリー・ヴァシリービッチ・シュブニコフ,アレクセイの父の名は,Василий Михайлович Шубниковヴァシリー・ミハイロビッチ・シュブニコフでした.レフとアレクセイは兄弟ではありません.(アレクセイの父の名を知るのに大変手間取りましたが,上記の2番目に張ったリンクに記載されています)
この有名な物理学者は兄弟(歳の差14)ではありませんが,レフの父親はヴァシリー,祖父もヴァシリーで;アレクセイの父親はヴァシリー,祖父はミハイルです.結局,彼らは兄弟ではなく,レフ(甥),アレクセイ(叔父)の関係であることがわかりました.
ミハイル → ヴァシリー →(兄)ヴァシリー → レフ
→(弟)アレクセイ
つまり,ヴァシリーに2人の息子がおり,兄のヴァシリーの方はレフの父親,弟の方はアレクセイ自身ということで辻褄が合いました.
アレクセイの父称の”ヴァシリー”は祖父の名前に由来し,レフの父称の”ヴァシリー”は,レフの父親(祖父が自分と同じ名前を兄の方につけた)に由来します.父子で同じ名前が付けられているとは思わなかったので,私の兄弟という推理ははずれました.
年上のアレクセイ(モスクワ大.結晶学研究所)の方は1970年までの生涯を全うしましたが,年下のレフ(ハリコフ大.ウウライナ物理工学研究所極低温実験室)の方は1937年にスターリンによる粛清で逮捕され銃殺刑になりました.レフの処刑の日も場所もわからないが,記録上では1945年ということになっています.1957年になって,親友のランダウらにより名誉回復がなされました.ソ連崩壊後に,レフ・シュブニコフ事件の顛末がわかる貴重な資料がでました.その概要は以下の記事に見られます.
低温物理学者レフ・シュブニコフの研究と生涯
レフはライデンの研究所で,ド・ハースたちと,ビスマスの欠陥のない単結晶を作り,極低温下で磁気抵抗の測定を行い,磁場強度の逆数に比例する磁気抵抗の周期的な変動を発見しています.
ヨッフェАбра́м Фёдорович Ио́ффе(1880-1960)[ウクライナ出身,サンクトペテルブルク工科大学]は,ペテルブルク,モスクワに集中している物理研究所を地方に分散させ,工業と結びつき活性化させ構想を持ち,ウクライナのハリコフに物理工学研究所の創設(1930までに)をしました.
レフは,ライデンの研究所から帰って,ハリコフの物理工学研究所に,極低温実験室を立ち上げます.ここには,理論物理教程(ランダウ,リフシッツ)で我々にもなじみのあるランダウ(後にノーベル賞受賞),(リフシッツは教え子)もおり,1930年頃のハリコフ大のセミナーは活気のあるものでした.その後,官僚的な研究所長が中央から派遣され軍事研究が始まり,この自由な研究所の雰囲気がなくなります.1937年には,スターリンの粛清の対象にされたレフ・シュブニコフら3人が逮捕されます.その事件が起こったのは,レフ・シュブニコフがレフ・ランダウとクリミアの保養地(登山)から帰った日の出来事だったと言います.
(参考文献)
1.物性研究・電子版Vol.7,No.1, 071101(2018年5月号)より引用
●ヨッフェの報告の要旨:
ソビエト政権の最初の10年間の物理学はモスクワとレニングラードに集中した.今や分散の時が来た.産業と結びつく必要のある研究所は工場が存在する場所,産業のある場所になければならない.
●ランダウの教育方針:
「理論ミニマム」をマスターすること.
最初に「理論ミニマム」に合格したのは,カンパニエーツ,続いて,リフシッツ.
●ウクライナ物理工学研究所所長:
オブレイモフ→1933年レイプンスキー→1934年4ゲイ→1934年12S.A.ダビドビッチ(重工業人民委員部が軍事的テーマの導入の目的で送り込んだともいわれる)
●ハリコフ大学からL.D.ランダウが解雇されたとき,学長へのシュブニコフの声明:1936年12月27日
国立ハリコフ大学学長ネフォロスヌイ殿
昨日,私はランダウ教授からあなととの話し合いの内容と昨日付けで彼を解雇するというあなたの決定を聞きました.ソ連の最も偉大な理論物理学者であり,世界的な名声を有する学者であるランダウ教授 への大学のこの対応は,全く根拠のない,真の迫害であると私は考えます.
馬鹿げた理由から学者を抹殺し,学生たちから才能豊かな教育者を奪うような環境で自 分が働き続けることは私にはできません.直ちに私を解雇することをお願い致します.
私の退職の詳しい理由と大学での状況の説明は,私から然るべき政府機関に報告する予 定です.L.V.シュブニコフ
2.wikiより引用:
●ピョートル・カピッツァПётр Леони́дович Капи́ца(1894-1984),モスクワ物理工科大学: ヨッフェの弟子.1921-1934キャベンディッシュ研究所などで,ラザフォードのもとで研究.1934年,スターリンは出国を許さず,彼のための研究所を設立させた.1937年 ヘリウム4を液化し,超流動性を示すことを発見した.1978年に低温物理学における基礎的発明および諸発見によりノーベル物理学賞を受賞した.ソビエト首脳に対して自由な発言の立場を得,強制収容所にいれられたレフ・ランダウを釈放させた.