【第二話】AKB48運営会社を辞めて"育成年代のスポーツビジネス"で起業した理由〜サッカーコーチの給料は驚くほど低い〜
スポーツファシリティ株式会社の富澤です。
今日は【第二話】AKB48運営会社を辞めて"育成年代のスポーツビジネス"で起業した理由〜サッカーコーチの給料は驚くほど低い〜です。
起業したいけどスキルがなにもなかった
「お金持ちになりたい」と純粋に思い、心からお金持ちに憧れ、起業を決意して"AKB48の運営会社社長の付き人"を退職したのが、27歳の頃でした。
退職後、ここで初めて「何で起業しようか」考え始めます。
さまざまな書籍や体験談、これまでの経験を踏まえて考えましたが、一向に答えに辿り着きません。
そこで、まず私は、1ヶ月近くの間「自分の過去やルーツを辿り自分を理解すること」を徹底的に行いました。
実は、これまで、死ぬほど忙しかったので、自分のことなんてほとんど考えたことがなかったのです。
そして、ここで自分自身を理解した結果、衝撃の事実を突きつけられます。
「今の自分には、スキルと呼べるものが何もない…」
どん底の暗黒期
この頃から、精神状態も経済状況も全てがどん底の状態に入っていきます。
約半年で貯金は底をつき、普通の生活もままならなくなりました。
カップラーメンの汁生活です。
でもこれに関しては、起業する覚悟を決めた時にわかっていたことです。
何より辛かったのは、自信を無くしてしまったこと。
なぜか私は幼少期から、不思議と自分に自信がある方でした。
この頃、昔から不思議とあった根拠のない自信というものが一切なくなりました。
自分を見つめ直して掘り下げて、考えて考えて考えた結果、起業してもこの競争社会で他の人に勝てるわけないと完全に自信を失ってしまったのです。
でも今思うと、この自分を見つめ直す時間があったからこそ、今があると確信しています。
そんなどん底の状況から、いよいよ「育成年代のサッカー業界での起業」を決意していくこととなります。
過去の経歴を書き出してみると起業分野が選定された
私は幼少期から弟と一緒に、サッカー漬けの毎日を送ってきました。
千葉県のJリーグクラブ「ジェフユナイテッド市原・千葉」の下部組織で育ちました。千葉県選抜トレセンにも選出され、チームメイトには現在も活躍している現役Jリーガーもいます。
でも、正直に言うとサッカー自体は好きではありませんでした。
ですので、プロサッカー選手への憧れも、それほどありませんでした。
とっても珍しいタイプのサッカー少年ですよね。
でも子供の頃からそれを表現することはできずにいました。
なんとなく、流れで続けていたのかもしれません。
でも、大人になってサッカー関係の仕事で起業しているんだから不思議ですよね。
私は、子供たちに「プロサッカー選手になることが全てではない」と伝えています。サッカークラブに所属しているからといって、プロサッカー選手になりたいという夢を持つことが絶対なわけではないと思うんです。
私自身がそうだったように、プロサッカー選手になりたいと思っていなくても、クラブでの活動で得ることや学びはたくさんあります。
私の人生の多くは、育成年代のサッカークラブのコミュニティの中で学び構築されました。今でも、「部活ノリ」が出てしまうこともあるくらいです。
このようにして、過去の経歴や経験などを思い出して書き起こし、徹底的に分析した結果、
そうなると、やはり起業して勝負することはやりたいことにマッチします。
ここでさらに、起業への思いが一段と強くなりました。
もし仮に、この分析で「自分はサッカーが好きだ」となっていたら、おそらく「サッカーコーチ」や「Jクラブのフロントの仕事」などを選択していたかもしれません。
なんとなくではなく、徹底的に自分の過去と内側にある欲望を分析した結果、起業の道を選択することになりました。
サッカーコーチの給料は驚くほど低い
この頃、育成年代のサッカークラブについて色々と調べ始めます。
まず一番に衝撃を受けたのが、「サッカーコーチの給料の低さ」でした。
それまで、派手な芸能の世界で、生活していた私にとって、月収15万の世界が本当に信じられませんでした。
私はこの事実を見て、幼少期にお世話になったサッカー業界は自分が変えなければならないと強く決意しました。