「僕の前に道はない」
2020年の暮れ。
コロナ第一波が直撃し、半年に濃縮された大学4年のシーズンが終わり、サッカーを続けるためのオファーは何一つ無かった。
信じて待てば何かある。
正直練習参加のお話くらいは…
くらいに思っていたが、特にセレクションを受ける訳でもなく、ただ待つだけの自分には何かある訳もなかった。
突然終わった高校サッカーとはまるで対照的に僕のサッカー人生は緩やかに終息していった。
4月。
社会人になり、2ヶ月先の休日の予定を自分で埋めていく自由を得た。
中高大と出来なかったようなことをして充実?の生活を送った。お腹が出始めた。
サッカーはロングハイライトを見る程度。
スパイクを履くこともなく、キーパーグローブはひび割れ始めていた。
年が明けて1月。
1通のLINE。窪田から。
「土日豊洲ミーファ」
仕事してんのに土日なんて捧げられねえよ。
1年もやってなかったのに今更なぁ。
断るには十分な理由があったし、現に何回か断ってきたけど、その時は何故か、なんとなく行ってやるかと思った。
案の定、ボールが見えない、止まらない、掴めない、手が出ない。
少し前なら自分にイライラしてそうだが、満足できる出来にはないのに楽しんでいた。
そこからは早かった。
結局入りますとちゃんと言った覚えはないが、加入したことになっていた。
1年振りに公式戦にも出た。
史上初のユナイテッドダービー。
立ち上がりから信じられないくらい攻められた。
小学生の頃にディアブロッサ高田に19点ぶち込まれた時を思い出した。いや21点だった気もする。
あれだけ攻められたら、普通味方同士怒号が飛び交う気もするが、攻められてる状況すら受け止めていることが不思議で新鮮だった。
なんか楽しんでるなあ。と。
Enjoy Football
恩師の瀧井先生の口癖だったが、当時快く受け止めている部員はあまりいなかった。
チームのビジョンとしてEnjoyと提案した時には、遊びじゃねえんだよと一蹴されたくらいだ。
抽象的な言葉だが、今ならその輪郭を捉えられそうだ。
ともかく今年から東京ユナイテッドFCプラスに加入することになった。
一部、観点別評価を極めた長身巨尻体育教師より未練があったんだねと言われたけど、別にそんな負の感情は全くなく、ただ何となく土日に豊洲に行ったら再びサッカー人生が始まってしまった訳だ。
平日1回の行けるか行けないか分からないフットサルと土日の活動だけで、僕はいつまで飛べるのだろうか。
現状維持は衰退。
そんな哀しいことは言わないでくれよ。
歳を取ってもあの頃のように楽しんでいることは素晴らしいことじゃないか。
僕の前には道はない
僕の後ろに道はできる
社会人サッカーという未知の世界を歩みます。
この遠い道程のために。