小論文5
数年前から、中学校や高校で取り入れられるようになったアクティヴ・ラーニングという授業形態がある。
このプロジェクトは日本社会が抱えるある問題を改善するために始まったものである。
その問題とは、日本人の中には思考停止をしている人が多いというものである。つまり自分の頭で物事を考え、判断する能力に乏しい日本人が多いという問題である。
この問題を解決するためには、学校教育のさまざまな場面において、どうしてこのような問題が発生したのか、何が原因なのか、どのような解決策があるのか、について生徒一人一人が独自の考え方を持ち、集団の中で議論し合う。そうすることで、今の状況を改善することができるのではないだろうかということである。
今年度より大学受験は、センター試験から共通テストに移行した。その新しい試みは、知識の暗記に偏っていた学習から、思考する能力があるのか、を判断することが目的である。
これはおそらく、10年前の東日本大震災時において、政治家や官僚が適切な対応をすることができなかったという反省に基づいている。日本の中枢である政府官邸は、日本でも偏差値の高い大学の出身者で構成されている。つまり極めて優秀な日本人エリートの集まりである。ところが、前例のない大惨事に遭遇した時に、彼らは迅速かつ最善の策を取ることができなかった。そして今でも多くの被災者が非常に厳しい生活を強いられている。
知識偏重の従来の大学入試システムの中で、優秀な成績を取ってきた彼らは確かに、前例のある問題、つまり過去問題については的確な判断で解答を見つけることができる。だが過去問題のない未知の問題を解決する判断力を持ち合わせてはいなかったのだ。このことは、ほとんどの日本人に言えることなのであるが、日本の進む方向性を決定する中枢の人間が、この体たらくでは話にならなかった。
思考停止した、つまり独自の判断力を持たない日本人に、日本の未来を任せるわけにはいかないということで、アクティヴ・ラーニングは始まったのである。
個人の意見が激しくぶつかり合うことを避ける日本社会の風潮の中で、アクティヴ・ラーニングが劇的に機能するとは考えにくい。変化には時間がかかることだろう。しかし、このプロジェクトは、日本人と日本社会が変わる可能性を持っている。