四文字熟語ドラマ引用編その5
”三国志”に関して、これまでの二度の投稿に続いて、今回は三国の内の三国目、呉国に関連する四文字熟語について、LIST UPしたいと思います。
以下に、呉国に関して見つかった四文字熟語を記します。(インターネット上で見つかった各々の四文字熟語に対する説明を付与しています。)
感恩戴義:かんおんたいぎ:恩に対し義を感じる、感謝の言葉との説明です。
落筆点蠅:らくひつてんよう:画家の優れた技巧、または誤りを上手に処理する事との説明です。
恩威並行:おんいへいこう:恩賞と刑罰をそれぞれ適切に与えるという意味との説明です。上に立つものは賞罰をしっかりする事、と言った言葉の様です。同義語として信賞必罰、論功行賞、勧善懲悪等が明記されていました。
昼夜兼行:ちゅうやけんこう:昼も夜も続けて頑張る事との説明です。類義語として、晨夜兼道(しんやけんどう):昼も夜も休まず先へ進み続ける事。 倍日幷行(ばいじつへいこう):昼も夜も休まずに先に急いでいく事。 衣帯不解(いたいふかい):衣服を着替える事もしないで、仕事に熱中すること等が有るようです。
呉下阿蒙:ごかあもう:”呉下の阿蒙”とは、言葉そのものの意味は、”呉の国にいる蒙さん”という事との説明です。”呉下の旧阿蒙”とも言う様です。進歩の無い昔のままの人間の事を指しているとの説明です。
刮目相対:かつもくそうたい:男子たるもの、三日あわなければ、刮目して見よ。三日もたったら、人をみる時は、良く注意してみなさいという意味の様です。 類似語・同義語として、”刮目して相待つ”:目を見開き、よく見ること・ 進歩した相手を見直すこと、”刮目相看”:かつもくそうかん:人の著しい進歩や成長を待ち望むこと・ または、今までとは違う見方をして、相手のことを見直す事との情報がありました。
曾母投杼:そぼとうちょ:嘘偽りであっても同じことをみんな(複数人:二人以上)が言うと信じてしまうという例えの様です。 類義語としては、 聚蚊成雷、曾参殺人、三人成虎、市虎三伝、浮石沈木等がある様です。
感恩戴義:正しいと思うことをする事、公共のために頑張る事、自分の利を考えず尽くす事と説明されていました。心から、ありがたく思って感謝感激する例え、恩に着て敬愛の念を持つ事とも言われている様です。
落筆点蠅:ある日、画家が絵を描いていて、絵の上に一滴墨をこぼしてしまいました。画家はその墨の一点に手を加え、蠅に書き換えました。その蠅の絵を見た孫権は本物の蠅だと思って指で弾いた、と言う故事に由来するとの事です。過ちをうまく処理して、逆に上手に仕上げる事の様に、画家のすぐれた技をいう例えの様です。
恩威並行:人の上に立つ者は、適切な賞罰をはっきりと行うことが必要だという事の例えの様です。また飴と鞭を適切に用いる事と説明されています。功績がある者には必ず賞を与え、罪がある者には必ず罰を与える事との説明なのですが、インターネット上の情報では出典が、”呉志”周魴伝と”魏志”周魴伝と複数あり、すいませんが、呉国由来の四文字熟語ではない可能性が有ります。(簡単に確認してみましたが、周魴伝は魏国の物語の様にインターネット上の情報からは見て取れます)
昼夜兼行:元は、昼も夜もかまわず、道のりを急ぐ事の様です。三国志の、呂蒙(りょもう)が関羽を倒すため遠くから急いで駆けつけたの事の故事が元の様です。
この話はドラマ内でも描かれていたと思います。確か、当時、関羽は荊州という地域を守備していたハズで、呉国からすれば、元々自分たちの領土だと主張していたところだったと思います。尚、この土地は魏国とも近く、関羽は魏国の武将と戦い、呉国の武将とも戦っているところがドラマで描かれていたと思います。
そして曹操は蜀国の皇帝劉備の恨みを買う事を忌避して、呉国に蜀国の荊州への戦を仕掛けさせます。(その時のニンジンが荊州の一部の領有だったと思います)そして、その後、義兄弟の仇を討つために劉備が最後の戦い(対象は呉国)に臨んでいくといったストーリで描かれていたと思います。
呉下阿蒙:いつまで経っても進歩しない人のことを指す言葉との説明があり、同義語に”旧態依然”等、類義語には、”行尸走肉”、”飲食之人”、”無学文盲”などが挙げられていました。
三国時代、呉国の呂蒙は若いころ、武勇には秀でていたが、文について全く無学であった為、呂蒙の才を惜しんだ、主君の孫権の勧めで学問にも励むようになり、 のちに魯粛(ろしゅく)が呂蒙と久しぶりに会った時、その学問の進歩ぶりに感嘆して”もはや呉にいたころの蒙さんではない”と言ったとの故事から生まれた四文字熟語と言われているようです。(実際には魯粛の言葉以前に、”呉下阿蒙”の四文字熟語の状況は既に現出していた気がするのですが…)
刮目相対:”呉下阿蒙”の言葉通り、主君である孫権に無学を指摘されて恥入った呂蒙は、発奮して本の虫となり、勉強を続けました。呂蒙は見る見るうちに教養を身につけます。最終的に、その勉強量は本来の専門学者である儒学者さえも敵わぬほどであったと言われた様です。
元々、呂蒙は貧しい家に生まれたため、学問を収められず(学ぶ機会が無く)、軍で出世しても、主君への報告書等は口述し、部下に書面を作らせ、提出していたとインターネット上の情報に書かれていたと思います。
そのような、勇猛であっても、無学であった呂蒙を軽蔑していた魯粛(呉国周瑜の後の軍のTOPとなった人物のハズです。学問に秀でた云わば軍師的な存在としてドラマでは描かれていたと思います)は、日に日に上がる呂蒙の評判を聞いて挨拶(確かめるためでは?)に向かい、呂蒙と語り合いました。以前とは比較できないほどの慧眼や学識を兼ね備えた大人物へと成長している事を確認した様です。
喜んだ魯粛は、昔言われていた”呉下の阿蒙”であったとはとても思えないと称賛したとの事ですが、この時、呂蒙は”士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし”と答え、つまり”士たるもの、別れて三日もすれば随分と成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ”と答えた逸話が残っているようで、この呂蒙の言葉がこの四文字熟語の由来の様です。
その顔つきは、かつて魯粛が軽蔑していた猪武者の姿ではなかったと伝えられているとインターネット上の情報に書かれていました。
と、ここまで、三連続で呉国の呂蒙将軍に関わる四文字熟語が続いています。
複数の逸話をなし得た、呉国の呂蒙将軍とはどんな人物だったのでしょうか?(中々、努力の人というエピソードが多い気がしていますが…)
蜀国の善のイメージに対して、三国志ストーリ後半は相対峙する事が多くなるため、何方かといえば、呉国も魏国同様、悪として色付けされているようにも、ドラマを見て感じていました。
然しながら、孫劉同盟を呉国の利益を抑え気味にしてでも、常に保持・堅持しようとしていたのが、魯粛でした。また、荊州で関羽を追い詰めてしまうのが、呂蒙なのですが、そうなる以前に、劉備や関羽も結構、相手(呉国)を怒らせる行為をおこなっている事がドラマでは描かれています。
曾母投杼:繰り返し悪口を聞いていると会ったこともない人でも嫌いになったりする。孔子の弟子の”曾参”の母が、ある時に”曾参”と同姓同名の別の人が殺人をしたので、”曾参が人を殺した”と言われたのですが、母親は信じませんでした。然し三人目の人から同じことを聞くと、信じてしまい、機織り仕事をやめて外に飛び出て行ってしまったというエピソードが元だそうです。
講師は、これらの7つのエピソードの内、4・6しか知りませんでした。他は聞いたこともありませんでした。依然として、新鮮な四文字熟語が沢山あります。
尚、新鮮なのは三国目の呉国が故かもしれません。講師的に呉国がクローズアップされていると感じるのは”赤壁の戦い”と”大喬小喬”の話や、”劉備との婚姻”、”関羽との攻防”とその結果による”劉備の最後に至る戦い”、位でしょうか?
三国の内、魏国と蜀国については、エピソードも多く、善悪の関係(善:劉備、悪:曹操)とのイメージが強いこともありますが、その分、呉国は影が薄い感じがしています(特にストーリ前半)。ドラマに関しても、三国志以外も二つの国はドラマが別に存在するのですが(趙雲関連、”曹操”等あります)、講師が知らないだけかもしれませんが、呉国関連は無い気がしています。
今回、インターネット上の情報を確認して、各々の四文字熟語はどういうエピソードか背景にあるのか、理解できた次第です。やはり、熟語とその意味を深く知る・理解する・新たに知る為に、TVドラマを見ることが有益であると、三度感じています。
講師の経験が、皆様のお役に立てれば幸いです。