呉服の由来をご存じですか、名前から類似性は認識できますが、実際に大陸由来とは、今さらながらに驚きです!(学校とかでこの説明を聞いた事が無いと思うのですが、学生が問い合わせたら大陸由来と説明されるのでしょうか?)
2024年6月20日作成
REV20
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皆さんは、表題の件、”呉服”が古代の中国大陸由来の事をご存じだったでしょうか?
呉服が伝来したのは、日本での時代は”弥生時代”の様で、中国大陸の”呉”の国から伝わったとされている様です。
また、中国由来の服そのもの(形や全体のデザイン等の意味)も伝わってきたのかもしれませんが、インターネットの情報では、伝来したのは、絹の生地や生成方法(織り方)という事になっている様です。
尚、皆さんはご存じかどうか分りませんが、中国大陸における、”呉”の国というのは、春秋時代と、三国時代の二回存在しており、実際に呉服が日本に伝来したのは三国時代の”呉”の国からという事の様です。
中国の三国時代、曹操や劉備、そして孫権がそれぞれの国、三国で中国大陸の覇を争っていた時に、絹の生地や織り方が呉から日本に伝来してきていたというのは、何とも、面白いというか、興味をそそられる事象です。
また、呼び方が、”呉服”は現在は”ごふく”と読むと思いますが、元々は”くれはとり”と呼ばれていた様です。(尚、その前は”くれはたおり”とよばれていたものが変化して”くれはとり”になったという説明を見つけました。尚、くれはとりには呉伝来の織物の技術者という意味と、呉の国の織り方で織られた織物という二つの意味が存在する様です)
因みに”着物”、”和服”、”呉服”等は現在は近しい或いは似た言葉として使用されているのではないかと思いますが、語源は完全に日本古代由来のモノと中国大陸由来のものとある様です。(着物>和服+呉服の様に思えますが…?)
更に、現状、呉服を着物の様に扱っていると思いますが、本来、元々は呉服は着物の事では無く、絹の生地という意味だった様です。
江戸時代に、高額な絹の服を買う事の出来なかった一般庶民が、呉服屋を出てくる絹の着物を着た人たちを見て、呉服を着物と勘違いしたのが現在に繋がっている様です。
また、呉服の服は元来、着るものの事では無く、生地の事を服(はとり)と呼んでいた様です。結果、呉から来た絹の服(はとり)という事で、”呉服”という言葉が出来上がった模様です。
従って、元々は呉服は着物、着るものでは無かったという事になる様です。(この辺りは、中々、奥が深いというか面白い!)
六月も下旬になり、夏の暑さを感じられる今日この頃ですが、皆さんはどの様にお過ごしでしょうか?
講師の経験が、皆様のお役に立てれば幸いです。
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