集中力革命


2040年の東京。都心のオフィス街を歩く人々の目元には、軽量でスタイリッシュなスマートグラスが光っている。

高校2年生のひなも、通学途中に愛用のスマートグラス「iGlass 15 SE」を装着した。透明なレンズ越しに広がる電脳コイルのような世界。ほんの15年ほど前はSFだった光景はいつしか日常に、歩きスマホならぬ歩きグラスは、すっかり見慣れた風景の一部となっていた。

「おはよう、ひなちゃん!」
ふと視線を上げると、親友のミキがレンズ越しに手を振っている。
「ちょっと待って。今グループワークの最終調整中なの」
ミキはレンズをタップしながら言った。
「え、でもあと5分で始業式でしょ?」
「そうなんだけど、みんなが夢中になっちゃって」
ミキが苦笑いを浮かべる。

ひなも、最近よく耳にするその言葉に違和感を覚えた。
「夢中」。
かつてはゲームや動画にのめり込むことを指していたそれが、今や勉強や仕事にまで使われるようになっている。






教室に着くと、そこかしこで生徒たちがスマートグラスに没頭していた。
「ねえ知ってる? 最近みんな『ゾーン』にハマってるんだって」
ミキがひそひそ声で言う。
「ゾーン?」
「iGlassの新機能よ。自分がやるべきタスクに特化した没入空間を作れるの。集中力が飛躍的に上がるんだって」
「へえ、どんな感じなの?」
「その人の好みに合わせて最適化された空間が現れるの。例えば私なら、お気に入りのカフェでBGMを聴きながらレポートを書く、みたいな」
「それって単なる妄想じゃん」とひなは突っ込んだ。
「いやいや、ただの妄想とは違うのよ。ゾーンの中では現実の何倍もの集中力を発揮できるんだから」

そう言ってミキはスマートグラスをタップし、レンズを通して教科書を開いた。
「ほら、数学の宿題が一瞬で終わっちゃう」
言葉通り、ミキはものの数分で難問を解いてしまった。
「すごい…」とひなは思わず声を漏らす。
「ゾーンは万能ってわけじゃないけどね。やる気のないことには効果がないの」
「なるほど。自分のやりたいことを後押ししてくれるってことか」
「そういうこと。だからみんな、自分の好きなことや目標に夢中になれるようになったのよ」

そのとき、教室のドアが開いた。
「おはようございます」
颯爽と入ってきたのは、担任の田中先生だった。
「みなさん、スマートグラスは授業中にはオフにしましょう。集中力を高めるのはいいことですが、先生の話も聞いてくださいね」
そう言って田中先生は、にこやかに生徒たちを見渡した。






放課後、ひなは一人校舎裏の芝生に座っていた。
ふと、ミキから聞いたゾーンのことが気になった。
「私も…自分の好きなことに夢中になれるのかな」
そう呟いて、恐る恐るスマートグラスをタップした。

「ゾーンを起動します。ひなさんの理想の空間を生成中…」
穏やかな女性の声が響く。
次の瞬間、目の前の風景が一変した。
「わっ…!」
ひなの声が漏れる。

そこは、ひなが密かに憧れていた場所だった。
青々とした芝生が広がる公園。
大きなキャンバスが立てかけられ、絵の具が並ぶ。
絵を描くことが大好きなひなにとって、まさに理想の空間だった。

「ひなさん、ここはあなたの心が作り出した特別な場所です」
ゾーンのAIアシスタントが話しかけてくる。
「あなたは絵を描くことに情熱を注いでいます。その情熱を存分に発揮できる環境を用意しました」
「すごい…まるで本物みたい」
ひなは感嘆の声を上げた。

「さあ、思う存分絵を描きましょう。ここではあなたの創造力に限界はありません」
アシスタントに促され、ひなは絵筆を手に取った。
キャンバスに向かい、自由な発想で色を重ねていく。
時間を忘れ、ただ絵を描くことに没頭した。

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