うっせぇわと厨二病
現在25歳の私はうっせぇわのブームに私の心はざわざわした。
うっせぇわはわかりやすい厨二曲だと私は思う。
ああいった曲が中学生、高校生に流行るのは珍しい事ではない。厨二病を患った人間にとって、社会への批判、難しい熟語、かっこいい言葉が多用されたインテリジェンスを刺激されるような曲は大好物だ。
厨二病はとても厄介な病だ。みんな厨二病を患いながらも、それがバレてはいけないと思っている。厨二病はいつか卒業しなければならないとみんなどこかで思っている。大人になってこの思想を手離したくないと思いながらも、いつか黒歴史にならないよう、隠して、卒業しなければならないというジレンマ。私達はその板挟みを楽しみながら日々センチメンタルになっていた気がする。
中高生の頃、私はスクールカーストの底辺で息を潜めながら、ボカロの厨二曲や邦楽ロックを聴いていた。「いい曲だな」「でもサムいな」「イタいのはわかってる、でもいい曲なんだ」「でも人にバレたら厨二病扱いされる」そんな事を思いながら、信用している友達にだけ「この曲好きなんだ」と打ち明け、一緒に厨二病の今を楽しんだ。きっと彼女は同窓会で会っても、厨二病だった私の過去を忘れた振りをして「変わってないね」と微笑んでくれるだろう。そういう弁えた友達だから打ち明けたのだ。同窓会で会った時に半笑いで不躾に「ボカロの厨二曲聞いてたよね」と言うような無神経な女にだけは、バレてはいけないと思っていた。
今のうっせぇわのブームを見ると、今の子達は「うっせぇわに共感した厨二病の自分」をさらけ出して不安にならないのだろうかと思う。
昔は厨二病の子達が隠れて聴いていたような曲が世間で広く受け入れられているのは何故だろう?と思う。
あれだけ市民権を得ているという事は、スクールカーストの底辺で息を潜めていた厨二病の子達だけでなく、バスケ部の男子と付き合うようなスクールカースト上位の子達も聞いているんだろうか。
もしコロナがなければ、学園祭の打ち上げでクラスでカラオケに行った時、スクールカースト上位の女の子がうっせぇわを歌うのを見て、スクールカースト底辺の厨二病の子達は「私の方がこの曲を好きなのに」「私の方が理解できるのに」「私の方が上手く歌えるのに」という歯痒い思いを抱えながら、貼り付けた笑顔でイケてる女子に拍手を贈っていたのだろうか。
今の厨二病の子達は、自分達がこっそり楽しんでいたカルチャーに大衆が入り込んできて、歯痒い思いをしているかも知れない。
だからどうという事はないのだけれど、世の中変わったな。