原辰徳は織田信長?戦国、三国志の武将と原監督


最近はスマホで読むばかりだったが本日久しぶりにスポーツ新聞を読んだ。報知の仙道学編集委員がコラムで大河ドラマ麒麟がくるにかけて話題を進め、最後には若手を競わせる原監督を織田信長と例えていた。

プロ野球の監督はスポーツ紙に「虎将」なんて書かれるなど、一軍の指揮官として戦国武将と重ねられることがある。また原監督も歴史小説が好きで年賀状には戦国武将の甲冑姿の写真を送るのが恒例であったらしい。

原監督は武将に例えるなら誰になるのか?確か記憶のすみに第二次政権の頃、原監督が自分を例えたことがあったはずだ。

原監督=劉備?

2000年代原監督のジャイアンツ、落合監督の中日ドラゴンズ、岡田監督の阪神タイガースをあわせてセリーグ三国志と呼ばれていた。その3人を三国志の各英傑に当てはめるとジャイアンツ愛をうたう原監督をファンは劉備に重ねた。

だが2009年頃のインタビューで原監督がその話を振られた時には、劉備より曹操でありたいと答えていた記憶がある。また別の書籍では劉備の軍師である諸葛亮のように信賞必罰の精神が大切と答えていた。

第二次政権で曹操、諸葛亮を目標に

私は2002年2003年の原巨人を詳しくは知らないが、そのときには"ジャイアンツ愛"を全面に出していたという。その2年間と後の2年の空白期間を経て原監督は選手にチーム愛を求めるために監督コーチがどうあるべきかを考え、変化したのではないか。

こう考えると第一次政権での原監督は三国志で例えると劉備であり(関羽、張飛は松井秀喜、高橋由伸あたりだろうか)、そして第二次政権のスタートで唯一のBクラスを経験し、有名な「うまい選手はいらない、強い選手が欲しい」に代表される話からは曹操、チームの勝利のために信賞必罰をはっきりさせるところは諸葛亮と言える。

第三次政権は?

それでは昨年から始まった第三次政権はどうか。60を越えた原監督は選手を教え子のように接し、諭し導くようなことが多くなった。また独裁と言われようが自身が経験はなくとも熱意と考える力があるとした宮本元木コーチを登用し、叱りながら育てている。

そして敵将としてはこれほど厄介なものはない。こちらのしたい野球をさせてくれず、隙を少しでも見せれば見逃さずに一気に攻められ、心をへし折られる。(開幕戦の相手であった阪神は再起出来るのだろうか・・)

近いのは関ヶ原や大坂の陣の頃の徳川家康か(自分はあまり好きではないのだが)。ただし今の原監督はかつてのように古の武将を目指したり、そうあろうとするのではなく自分のやりたいことをしているのだと思う。

そして未来のプロ野球で「まるでかつて巨人監督だった原辰徳さんを彷彿とさせる○○監督の采配!」と呼ばれるような、そんな采配をこの2年間で期待している。

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