年賀状と教育の原点
年賀状を書くことを減らしていることもあり、また担任をしていないので、クラスからどっと年賀状が来ることも無くなったのですが、以前担任していた子供たちからの年賀状を読むのは嬉しいことです。
昨年、郵便セミナーで暑中見舞いの実践発表をしました。
手のかかる、元気なA君が中学になってからも、暑中見舞いを出してくれたやりとりをまとめました。
そのY君から年賀状が来ました。
「先生、4月で20歳になるので飲みましょう(マジで)」
5年生で担任をしたので、そこから9年経とうとしていることに驚くとともに、うれしくもありました。
お母さんは、学校公開の日は、1日参観していました。
(その年は、1時間目から6時間目まで参観するお母さんがもう1人いました。)
自分の子供が小学校、中学校に通うようになってみて、1時間の参観でも疲れるのに、朝から帰りまでいらっしゃったと思うと、改めてそのお子さんに対する思いというのに驚かされます。自分はできないです。
朝からサッカーをして、昼休みにサッカーをして、とにかく関わっていました。
「自分の機嫌は自分で取りなさい」と関係ができてからは、何度も言った子です。
「先生もだよ」と言いながら言い返してきたのが懐かしいです。
唯一、河村茂雄氏の言う自治的集団になったのではないかと思った年です。
ただし、その自治的集団になるきっかけとなる事件は、3月の解散パーティーの最中に起こりました。
(自治的集団になるのに、集団におおきな負荷がかかる事件を乗り越えると体感しました。
向山洋一先生なら3日間授業をしないこと、長谷川博之先生の合唱指導を通しての集団づくりなど)
教え子から元気をもらいました。
教師の一番大切な仕事は何かを確認できました。
今年も子供達の成長を伸ばす手伝いをするため、自分の仕事をしていきます。