歌舞伎町ペーパー・ボーイ:3
90年代末期の歌舞伎町は雑居ビルの街だった。戦後焼け野原になったこの土地に歌舞伎の演舞場を建て、健全な芸能の街にしようというのがこの街のコンセプトだったらしい。しかし財政面で歌舞伎の演舞場は建設されず、代わりに新宿コマ劇場ができた。歌舞伎町という名前だけが地名として残った。
現在の歓楽街という形になったのは1960年以降だと言われている。その時代に建設された古い雑居ビル…おそらく消防法が適用される前の、どこか危険で魅力的な建物たちがオレのメインフィールドだった。
マンションと違って、雑居ビルは商業用に特化されている。歌舞伎町の午前4時、普通に営業している店舗も多い。風営法やらなんやらあるらしいが、もちろん知ったこっちゃない。オレの販売店も違法なポーカー喫茶と契約していたから、そこにも配達していた。しかし、法の目をすり抜けて(その割には堂々としているが)営業しているだけあって、雑居ビル絡みの配達は常にバイオレンスと背中合わせだった。
・ホストクラブ(暴力編)
歌舞伎町2丁目はホストクラブの激戦区だ。一棟の雑居ビルに何件もの小箱が入居し、激しい競争によってその看板は頻繁に入れ替わる。こういった飲み屋系のビルは一様に内装がピカピカで、壁まで鏡だったりする。まだバブルの残り香がプンプンとする時代だった。そうでなくても歌舞伎町は街も人も「今」の時代から10年は遅れているような、何とも言えない空気感が漂う場所だった。
鏡張りのビルはニガテだった。新聞配達員である自分の薄汚れた姿が惨めに映るだけでなく、こういった小汚い姿の人間はホストやその客達から嫌われる。イメージや雰囲気を壊されちゃたまらんって事だろう。また、少なからず酔っている奴が大半なので絡まれる事も多い。酔っぱらいだけに喧嘩をすれば普通に勝てそうな相手ではあるが、ビル内で揉め事を起こすのは面倒なので上手く逃げるのが上策だ。ただし、動いているエレベーターの中で鉢合わせするとマズい。
「おまえ、なにみてんだよコラ」
見た目はスーツを着た紳士風(?)だが、素性はヤンキーそのものだ。心の中では
「おまえこそ何みてんだヨ。そのスダレ引っこ抜くぞコラ」
と思っていても、そうそう手が出せるものではない。 オレは毎日ここを配っているのだから、後先のことを考えてしまう。こいつらを小突いてもバックに大人の不良がついていたら面倒どころの話じゃない。
そして、そうこうしているうちに手が飛んでくる。
「おいテメ、なんでよけんだよぉ」
たりめーだろ……ドスッ
オレの左の脇腹あたりに蹴りが入った。抱えていた新聞が地面に散らばり、流石にやりすぎたと思ったのかスダレ野郎は立ち去っていった。
そんな小競り合いが2ヶ月に1度ぐらいあった。オレが新聞配達時代に殴られた5人のウチ、4人はホストだ。奴らもヤクザと同じでトップに立つような人は堂々としたものなんだろうが、下っ端のほうはチンピラ同然か、それ以下だ。関わらない方がいいに決まってる。 悔しく惨めな思いをする度に、ここが日本トップクラスのバイオレンスシティ歌舞伎町であるということを思い出してグッと飲み込んだ。オレは何者でもない貧乏学生なんだから。
だが、そうでない奴が居た。 オレが休みの日に代配(代わりに配ること)をするジュンジだ。 何せ奴は曲がりなりにも喧嘩無敗の元暴走族だ。
「あんのムカつくホスト、鬼王神社の裏でボコボコにしたっけさ」
予想通りの行動すぎて笑ってしまった。売られた喧嘩はキッチリ買ってしまう性格のジュンジだ。オレはこいつのそういうシンプルな所が好きだった。そうだな!後先考えすぎてもな!
吹っ切れたオレは、何人かのホストを返り討ちにした。もちろん殴られたら、の話だ。顔を殴られて鼻血が出た時はさすがのオレもついカッとなってしまってファッキン腐れホストの髪の毛を掴んで壁に顔を叩きつけてやった。今もそうだが、ホストは髪が長いから掴みやすい。スーツも柔道着みたいに掴みやすいから出足払いか払腰で転ばせられる。最低限、自分の身を守るぐらいならいいや、という割り切りも心の平穏を保つために必要だった。
ある日、そんな揉め事のアレコレで鼻血を垂らしながら配達先の交番に行ったら、お巡りさんに「どうしたの?その顔」って聞かれた。
「いや、そこのホストに絡まれちゃって」
「ちゃんとやり返したかい?」
やりすぎたらどうせ捕まえちゃうんだろ?とは思ったけど、杓子定規でないこの警官の対応には心が救われる思いだった。あの時、風俗広告がビッチリはいったポケットティシューをくれた鬼王神社近くの交番のおまわりさん、どうもありがとう。
その他にも、明けがたごろビルとビルの隙間で寝転がってるホストがいるなーと思ったら夕刊の時も転がってて、実は急性アルコール中毒で死んでました、とか、エレベーター開けたら血だらけの人が倒れてました、とか、珍エピソードで片付けられない小話は山のようにあった。通報すると事情聴取に呼ばれて面倒なので、オレたち配達員はよっぽどのことが無ければスルーする(よっぽどのことか)。事件よりも配達が遅れて怒られることの方が怖いしな。しかし、それが歌舞伎町2丁目という街なのだ。
歌舞伎町交番のお巡りさん曰く
「通報が来たら、まず一服してから行くよ。 だって、すぐ行ったら危ないもん」
だそうだ。実に賢明だと思う。
そして、この時期タイミング悪く当時の国内最大手暴力団組織のNo.2が神戸で暗殺される大事件が起きた。
組の関係事務所が歌舞伎町にもあるとかで、どこかから銃声のようなものが聞こえてきたり(そんな気がしただけ?)盾を持った機動隊がマンションの前にズラっと並んでいたり、不穏な空気が歌舞伎町を支配していた。道路も一部閉鎖され、順路も変更を余儀なくされた。盾を持った人がいるマンションに「ちょっとスンマセン」って丸腰で入るのは、さすがに怖かった。
こうなると、もうバイオレンス以外の何物でもない。「音楽でメシを食う」為に上京してきたのに、なぜオレは「仁義なき戦い」の中に身を投じてしまっているのであろうか。学校の女の子より風俗嬢と仲良くなってしまっているのは一体どういう事なんだろう…。みんな、同い年なんだぜ…。
この頃、同い年の椎名林檎が「歌舞伎町の女王」でブレイクした。そのあまりにもフェイクなスターぶりが、歌舞伎町のリアルを知るオレには受け入れられなかった。だから今でも椎名林檎はニガテだ。曲とか歌はカッコいいと思うけどね。因みに地元のバンド仲間ヨウコの兄貴が東京事変のメンバーになるのはずっと後の話だ。
しかし、こんな事ばかりで歌舞伎町に慣れてしまった自分も怖い。どんな危険な場所に出掛けても、
「まあ、殺されるワケじゃないし」
と思える様になったのは、収穫か、仇か。
バイオレンスは何も暴力だけではない。甘い誘惑や、甘くない誘惑もバイオレンスの一つだ。次回はその辺について(思い出したくないけど)書いてみる。
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