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おっさんに、歯を食いしばって、立ち向かえ。

 The Kids Are Alright...

 「子供たちは、大丈夫だ」

 これは、僕が大好きなバンドの曲のタイトルだ。

 発表されたのは、1964年。

 今から、57年も前。

 57年経って、世界は大きく変わった。

 いいようにも、悪いようにも。

 57年前、子供たちは大丈夫だったようだ。

 でも今はどう?

 子供たちは、
 全然大丈夫じゃなさそうだ。



 なんならもれなく、最近やっと「脱・子供」化した僕たち(大人と子供の間、通称、コドナ)も、ついでに大丈夫じゃなさそうだ。

 就職難、コロナ禍、セクハラ、パワハラ、○○ハラ、晩婚化、晩産化、低賃金、曇った未来、自分探し、、、

 これだけしか例に挙げてないけど、すでに頭が痛すぎる。マジでなんなんだおい。


 いったい、誰のせいなんだ??

 誰のせいで、俺たち、若者は苦しんでいるのか。

 自分が悪いことは、当然自分が悪い。そんなことはわかってる。

 では、自分たちではどうしようもないことで苦しめられているのは、一体なぜなのか。

 それは当然、社会のせいだ。

 では、その「社会」とやらは、一体、誰が作っているのか?

 答えは簡単、おっさんたちだ。(あと、少しのおばさん)

 僕たちは、幸せになるために、"その"おっさんたちと戦わなきゃいけないところまできてしまった。

 ちなみに、別におっさんと戦わなきゃいけなくなっているのは、何も僕らの世代が初めてではない。若者とおっさんはいつだって対立してきた。

 日本だって、縄文時代ぐらいから、おそらく各家庭では、

 「うるせーんだよ!ジジイ!!!」

 「誰に口きいてんだ、クソガキ!!」


 などといった怒号が、各竪穴式住居から響き渡っていたことだろう。


 時代が進んで、平安時代ぐらいになっても状況は変わっていないはずだ。

 「こちたきぞ、親父。」

 「誰に口をきけるなり、糞童。」


 などといった怒号が、各寝殿造から響き渡っていたことだろう。



 つまり何が言いたいかというと、おっさんと若者の対立には、人類の歴史とほぼ同時進行と言っていいほどの、長い歴史があるのだ。

 この記事の頭に挙げた、"The Kids Are Alright"という曲。

 これを作ったのは、The Whoというバンドだ。

 昨日の記事で、僕の葬式でかけたほしいといったバンド。

 彼らの代表曲の一つに、"My Generation"という曲がある。

 当時の曲にしては、かなりトガった歌詞で、パンクの先祖とまで言われているような曲である。

 ちょっと歌詞を見てみよう。そしてもしできたら、動画もちょっと見てみてほしい。

People try to put us d-down (Talkin' 'bout my generation) 
Just because we get around (Talkin' 'bout my generation) 
Things they do look awful c-c-cold (Talkin' 'bout my generation) 
I hope I die before I get old (Talkin' 'bout my generation) 
This is my generation This is my generation, baby 

みんなが俺らを貶めようとするんだ
ただこの辺をうろついてるだけで
あいつらがすることは、ほんっと最低だ。
年を取る前に死んでやりたいな
これが俺らの世代。俺らの世代だ。

Why don't you all f-fade away (Talkin' 'bout my generation) 
And don't try to dig what we all s-s-say (Talkin' 'bout my generation) 
I'm not trying to cause a big s-s-sensation (Talkin' 'bout my generation) 
I'm just talkin' 'bout my g-g-g-generation (Talkin' 'bout my generation) 
This is my generation This is my generation, baby

お前らマジで全員消えてくれないかな
あと、俺らが言ったこと全部を深堀りしようとするな
別にでかい騒ぎを起こすとしてるんじゃない
ただ俺らの世代の話をしてるだけだ
これが俺らの世代。俺らの世代だ。

 どうですか。

 これって今、多くの若者が思ってることなんじゃないかな。


 これも1964年の曲。57年前の若者が作った曲だけど、そのメッセージ性は57年経っても、一切衰えることはない。

 そういえば、さっき言った「パンク」という言葉、知っているだろうか。

「お前、その発言はパンクだよ~~」

 とか、

「お前、その態度はさすがにパンク入りすぎだろ~」

 とか、


 「アナ雪で、いい奴かと思ったら、ドクズだった王子の名前ってなんだったけ、、、全然出てこない、、、」

 とか。あ、これはハンスか。

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「おかーさん!昨日洗っといてって言ったじゃん!!俺、明日履く分ないじゃん!(泣)」「早く洗濯機に入れないあんたが悪いんでしょ!!」

 とか。あ、これはパンツか。

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 「あのさ、、Suchmosのボーカルの名前ってなんだっけ、、、」

 とか。あ、これはヨンスか。

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 うん。茶番はおいといて。

 とりあえず、パンクのなんとなくの意味は知っているだろう。

 簡単に言うと、パンクは音楽のジャンルだ。

既存概念とか伝統とかを重んじる頭の固いおっさんや、若者のことをナメ腐ってるおっさんに”中指を立てる”表現をした、音楽の一種のことだ。(厳密には派生はあるけど、ここでは割愛。)

 その強烈な態度と、印象だけが独り歩きして、パンクは人間の態度とかを表す言葉にもなっている。

 ここまで理解して、再度歌詞を読んだら、The Whoの"My Generation"は、パンクの先祖だ、という僕の主張が通るだろう。

 実際、パンクの人たちは、「既存概念」だったビートルズとかローリングストーンズとかはバカにしてたらしいけど、The Whoだけは別格だったらしい。これらのバンドと同時期に活動始めたのに。

 だって、"My Generation"は、世界で最も早い段階で、

 おいジジイふざけんなよ


 って叫んだ曲ですから。(超意訳)

"My Generation"は、おっさんと若者の対立、っていう永遠の戦いを描けた、っていう、ある意味ではとんでもない曲なのである。

 今、僕らが戦っているおっさんたちも、きっと"My Generation"を聴いたはずだ。もしくは、これに似た何か、またはパンクを。それを通して、若者としてのアイデンティティを、お互いで補完したはずだ。

 でも、今、彼らの中には若者のころに嫌っていた存在そのものになっている者も多い。(必ずしも、全員ではないけどね。これすごく大事。すごくいいおっさんもこの世には、本当にたくさんいます。

 僕らは今後、どうすればいいのか。


 僕らも、この「輪廻」に巻き込まれてしまうのか。

今、僕らが戦っているおっさんやおばさんたちそのものに、いつか僕たちはなってしまうのだろうか。

 見かけ上はそりゃあなるさ。でも中身までは嫌だ。

 僕らは、今のおっさん、おばさんにはなりたくない。

 できるなら、、何か別の存在に、、



 僕らもいつか、おっさん、おばさんになるだろう。

 しかし、僕らには選択肢がある。

 つまり、今戦っているおっさん、おばさんになるか、否かという選択だ。

ほんの少しの気配り、習慣を続けるだけで、僕らはおっさん、おばさんの定義を少しでも変えられるかもしれない。

 「いや、無理だよ(笑)」とか言ってくるのは、だいたいそいつらがおっさんかおばさん自身なんで、無視してください。

 もし言ってくるのが同年代なのであれば、その人の中身はすでにおっさんorおばさんなので、気を付けてください。ダウトです。速やかに離れましょう。

 僕らの世代から、おっさんとおばさんを、復権しよう。

 どうせなってしまうなら、僕らはもっと、マシなおっさんとおばさんになろう。

 どうせ住むなら、家は心地よくした方がいい。


 何から始めよう。

 結局、人の印象は外見とかいうけど、それは各自でやってください。

僕の方から、育毛剤や清潔な服や、ORBISの化粧水を配布するには経済的に難があります。

 今日は一つだけ提案!

 それは、「何を言わないか」である。

(ここから、セクハラなどの話に、しれ~っとすり替わっていきます~)


 ここでとある、”架空のエピソード”を書いてみよう。

 とあるおっさんの大学教授が、授業中に受講生の女性と話す際、その女性の恋愛関係のことを聞こうとした。さらにそれでは済まず、その教授は、


 「あ、今の時代ってこういうこと聞いちゃいけないんだよね(笑)」


 はーい!!止まりなさ~~い!!(警察)


 お前は、なにを反省した感出してんだ。

 ていうか、時代が許さないからそういう質問をしていいんじゃない。

 ずっと聞かれた側が許さないんだよ。

 その事実に気づけているかどうか、ってことが「いいおじさん」「おいおいおじさん」の分け目の一つになっていることは否めない。

 たしかに、ふた昔前ぐらいまでは、こういう質問をしても笑って済んでいたかもしれない。

 でも、あんたの言う、そういう時代がやってきました。

 時代を隠れ蓑にするなよ。

 ようやく、こういう質問が許されない雰囲気づくりが、社会全体でできてきているんだ。

 ようやく、ここまで来たのに、発端のあんたらには絶対にそれを壊させないからな。


 それに加えて、何度、俺たち、若い男たちは、おっさんの女の子に対する、上に告発することができないようなギリギリのラインのセクハラを、だんまりを決めて見逃してきた??

 その時、何も言わなかっただろう。俺もそうだった。

 だったら、俺らの時代から、言わないようにしよう。


 なぜ、こういうやりとりはなくならないのか。

 それはおそらく、「おっさんは、若い女性にこういうことを言う」みたいなロールプレイングが社会に浸透しすぎているからだ。

 昭和のコント番組や、映画で、おっさんが女性にセクハラをして、笑いを取るみたいなやつを全員が見たことがあるだろう。

 それを見て育った子供たちは、当然大人になってもそういうことをし続ける。

こういうのは、やはり映画やドラマが抱える大きな責任の一つだ。

 もう、こういうロールプレイングはやめよう。


 この前、帰省した時に10年以上通っている美容室に行った。

 そこでずっと髪を切ってもらっている美容師さんにこんなことを聞いた。

 人と人は、「30歳」年齢が離れると、価値観に大きな変化が現れる。


 という事実だ。これはたしかにそう思う。

 この価値観のズレは、年齢層という大きな塊で見ると、絶対に埋まらない。

 しかも、その価値観は、教科書に載っていないし、映画でも直接的に描かれることはない。

その価値観は、年齢層ごとにずーーーっと決まっていて、それが引き継がれているだけだ。(と、思う、、)

 だから、簡単に修正はできないし、新しいものが生まれることもすごく難しい。

 さらに、昭和の番組のように、映画やドラマなど、みんなが見るものによっても簡単に刷り込まれてしまい、それが剥がされるのはすごく難しい。


 じゃあ僕らは、どうやって価値観を改善していけばいいのか。

 映画やドラマ、音楽は教えてくれない。解決法は、

 人との対話だけだ。


 人と話そう。

 人と話して、新しい理解を得よう。

 僕の中の当たり前は、誰かにとって耐えがたいことかもしれない。

 それを毎度毎度塗り替えていく作業が、すごく重要なのだ。

 たしかにそれは正直、面倒だ。

 しかし、同じ面倒な作業でも、お風呂を洗ったり、皿を洗ったり、洗濯物を干すことよりも、大切なのかもしれない。

僕らは世界を、人々が生きていく環境を、少しずつ良くしていく必要がある。少しずつ良くなっているはずのこの世界は、すべての人が心地よく生きるという前提によって、支えられていくことを忘れてはいけない。



 ちょっと長くなったし、かなり説教くさいが、

 これが今思うことのすべてだ。


 そういえば、本当に偶然なんだけど、

 僕が大好きな岡崎体育さんとネタ被りしてしまいました、、

 ついさっき、YouTubeに上がった『おっさん』っていう曲。

 ぜひぜひ聴いてください。めっちゃいい曲です。

 岡崎体育さんの言い分が、

 おっさ~ん!がんばろーや!(^-^)

 って感じだとすると、僕のこの記事での言い分は、

 若者!マジで、マジで頑張ろな。(`_´)


 ですよね。どっちの言い分もすごく素敵だと思います(自賛)


 言い方を変えると、僕の記事には、おっさんへの諦めの気持ちが滲み出ていると思います。

 ほんとはそんな感情抱きたくない。

でも、自分からおっさんを変えるよりも、僕は若い人を鼓舞して、未来の環境からどんどん変えていきたいと思う派です。

 だけど、岡崎体育さんの歌は大好きです。ほんとに。

今月発売の新アルバムも楽しみだな~~!

 ということで、今日は以上です!また明日!

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taiga
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