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【決定版】個人的、2021年映画ベスト
今年もついに最後の日になりました。
今年はいろいろと反省がありましたが、何よりも反省しているのは今年公開の映画をほとんど見なかったことです。
映画を見ていなかったわけではなく、単純に過去の映画をたくさん見ていたというのもあるし、住んでいる地域で見たい映画がまったくもって上映されなかったことなども当然原因としてはあるんですが、配信のものも一切手を付けなかったので、それもあるとは思います。
そのため、この前の記事で21歳の目標は、「新作映画をたくさん見る」ということにしたのです。やっぱり新作を見ないと現代の映画のトレンドもつかめないしね。
そのような現状により、昨日の音楽の記事のように、映画を10本導き出すのはとても難しい気がするのです。なぜなら、10本のうち数本は別に好きでもなんでもない、もしくはいまいちハマらなかったような映画ばかりだからです。そこで今回は5本だけ選んでみました。
相も変わらず順不同です!よろしくね!
1.ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(原題:The Suicide Squad)
順不同とは書きましたが、この映画が今年ベストです。
僕自身、あまり一度見た映画をもう一回劇場で見るということはしないんですが、この映画が今年唯一3回劇場で見ました。それぐらい好きな作品。
とにかく強調したいのは、前作との対比。
前作がとにかくゴミというのはみなさんご存じかと思います。もし前作が好きな人がいたとしても、ごめんなさい配慮ができません。あれはゴミです。しかも特に汚いゴミ箱の中のゴミ。
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この前作、予告編だけが異常に評価されていて逆に面白い。海外勢のコメントなんかを見ると、「本編公開しなきゃよかったのに(意訳)」とか言われている始末である。予告編にはクイーンの"Bohemian Rhapsody"が使われていて、けっこうかっこいい。この予告編を見たときは本編の出来に大きな期待を寄せたものだ。マジで失望させやがって。ふざけんな。
そもそも、キャラクターの魅力が薄すぎる。ハーレークインとデッドショット、リック・フラッグ、ジョーカーはいいのだが、それ以外がどうでも良すぎる。キャプテン・ブーメランはただの汚いおっさんでブーメランはたいして投げないし、エル・ディアブロはたしかにかっこいいけど、この能力もうX-MENで見てるのでいいです、という感じ。キラー・クロックはダサくて割と言うこと聞くハルクだし、エンチャントレスは味方かと思いきや、普通に敵だったという。しかもこいつのこと怒らせてるのはまさかのスーサイド・スクワッドのボスのアマンダという。ふざけんな!!あと、カタナってのもいたな。日本人らしいんだけど、ほとんど話さないし、日本人ステレオタイプの塊なので見ていてあまり気分がよくない。あと、スリップノットてのもいたな。瞬殺だったけど。
このように、キャラクターのほとんどがダサいし見ていて面白くないので、コケるのは確実だし何より映画のプロットがひどい。ただただ街中を進んでいって、目的地にたどり着いて敵倒して終わりという。だから?といった感じだ。それに画面がひたすらに暗すぎる。せっかくの戦いのシーンなのに、薄暗い画面に見えるのは、銃弾とディアブロの火だけだ。迫力もないしハラハラもしない。最低だ。
それに引き換え!!!!!!!
この新作スーサイド・スクワッド(2021)は、この問題を実に綺麗にすべて片付けてしまっているのです!!
まずはキャラクターたちが全員魅力的。というか、魅力的じゃないやつはマジで開始15分ぐらいでほぼ全員殺されるので、そこがまず最高だ。
僕は今まで、映画内では味方のキャラクターたちがあんなにどんどん惨殺されていくのに、ここまで晴れやかな気持ちになったことがないのだ。
27人の子供を殺した、イタチのウィーゼルや、映画の最初に出てきて予告編にも大々的に登場していたサバントなど、興味をそそられるキャラクターも一部いたが、一瞬で脳が吹き飛ばされたりするので、たいした思い入れもないタイミングで死ぬというのがありがたい(?)(まぁウィーゼルはぎりぎり生きていたけどね)
そして生き残ったというか、ほぼ全滅したチームとは別のチームだったメンバーがこの映画の主人公になっていくのだが、そのメンバーも全員魅力的だ。もうほんとに全員大好きだ。
まずはご存じハーレークイン。次に前作のデッドショットの代理のようなキャラのブラッドスポート。デッドショットの代理と書いたが、もはや代理ではなく、人情味もあって友情に熱い、彼のほうが何倍も素敵だ。そして、ハーレーと同様に前作から続投したリック・フラッグ大佐、平和を愛するあまりに人を殺しすぎているピースメイカー、チームの紅一点でネズミを愛するラットキャッチャー2、そして強度なマザコンであるポルカドットマン、清々しいほど人殺しに躊躇のないキングシャーク。
これら全員がそれぞれ出番があって、それぞれに固有の魅力がある。
キャラクターの魅力を後押しするのは簡潔でわかりやすいプロットだ。物語が分岐するポイントもいくつかあるものの、そもそもチームが一つしかないので観客が迷うこともないし、なにより彼らはすぐ殺すのでどんどん話が進んでいき、非常にスカッとする。
ブラッドスポートとピースメイカーの能力被りという問題もあるが、彼らの性格や動機をわざと対立させることで、それもあまり気にならなくなっていると思う。
それに一番最高なのは、最後の「怪獣」との対決だ。監督はマーベルの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』も担当した、ジェームズ・ガンということもあり、彼の怪獣愛がにじみ出ている。街を破壊しながら闊歩し、人をどんどん操っていく様は、彼らの焦りを加速させるし、なによりデカいので、見ていて迫力がある。
このジェームズ・ガンという監督、『ガーディアンズ~』でもそうだったが、宇宙空間なのにネオンサインがあったりなど、画面の明るさに定評がある人物なので、この『スーサイド~』でもそれが活かされていたと思う。前作と比べてひたすらに画面が明るく、戦闘シーンもほとんど昼間という配慮。見ている側も何が起きているかすぐわかるし、今までの暗いDC映画との対比もうまくできていて素晴らしいと思う。
これ以上書いたらまたやる気がなくなるのでこの辺にしておくが、アクション映画としても、ヒーロー映画としても、アメコミ映画としても完璧な映画だ。何も考えずに見ることもできるし、彼らの心情を追いつつ見ることもできる。非常に器用な映画だと思う。最高のお祭り映画だ。ぜひ見てほしい。
2.『ラストナイト・イン・ソーホー』(原題:Last Night In Soho)
この映画は以前、別の記事で語ったのでそれを読んでいただければと思います!
【追記】
この映画のメッセージ性の部分にはこの記事で触れたのでもう放っておくんですが、ここで触れたいのは演出の部分。
僕もこの映画の主人公エロイーズと同様に、60年代の音楽や映画が大好物なんですが、その当時の雰囲気が、というか温度や匂いみたいな部分すら伝わってきた。街の喧騒とかネオンとか。当時を生きた人しか体験できなかったような質感まで映像で表現できていて、そこは本当に本当にすごいと思った。やっぱり嘘くさい部分が出ちゃうとは思うから。もちろん嘘なんだけど、まるで本当にエロイーズがタイムスリップしてしまったように感じさせる力は強かったと思う。
3.ひらいて
作家の綿矢りささん原作の映画。
綿矢りささん原作の映画はほとんど全部(『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』)見た。それぞれ全く話は違うけど、いろいろ共通点はある。
まず、主人公が女性であるということ。
そしてその女性が恋をする男性が登場すること。
そして全体が、自分の嫌なところに向き合いつつ、同時に誰かとつながっていくという物語である、ということだ。
『勝手にふるえてろ』の場合は、妄想と現実、そして過去と未来の狭間で揺れる女性。そして『私をくいとめて』の場合は、内側にこもっていたい気持ちと外側に出ていかなくてはいけないとわかっている気持ちの間で葛藤する女性。
そして『ひらいて』の場合は、なんでもうまくいっていた自分と、唯一どうにもならないことに直面する自分を、暴力的な愛によって混ざり合えてしまおうとする女性だ。
その「女性」、主人公の愛は、クラスメイトのたとえのことが好きだったが、彼には秘密の恋人、美雪がいた。
愛の恋は、どんどんとエスカレートしていき、彼女は美雪と性的関係を持つようになってしまう。
この行動はなんなのか。愛は同性愛者なのかバイセクシャルなのか、という疑問を持つとは思うし、実際これがこの映画の一番大きな論点の一つだと思う。
僕の意見を言うと、愛はバイセクシャルでもレズビアンでもないと思う。たとえのことが最初から好きであったし、美雪がたとえと交際していなかったら近づきすらしなかっただろう。
先ほども言ったように、綿矢りささん原作の映画のメッセージはどれも大本は共通していると、僕は思っていて、それは「自分の嫌な部分に向き合いつつ、同時に誰かとつながっていく」というものだ。
彼女の行動は、誰か=たとえとつながっていくためのものだ。それには自分にとって邪魔な存在、内的なものではなく、外的なもの、つまり美雪に向き合って、それを手に入れてしまおうとする邪悪な感情から来たのではないか?
愛はスクールカースト上位のイケイケJKだった。だからこそ、学校でうまくいかないことは自分のプライドが許さないだろう。
『勝手にふるえてろ』と『私をくいとめて』の主人子と、愛が決定的に違うのは、簡単に言えばイケイケかどうかという違いだ。『勝手にふるえてろ』と『私をくいとめて』の主人公、良香とみつ子は決して人気者でもないし、自分の内面に強烈なコンプレックスを抱えた状態で物語が始まる。しかし、序盤では愛はコンプレックスなど一切描かれないし、愛のコンプレックスは、「たとえを手に入れられない」こと。それだけだった。スタートラインから異なる愛は、映画化された綿矢りさ作品の主人公の中では、かなり特異な存在であるといえる。
そういう意味でも、この映画はすごく面白い。このような行動論理が実際にありえるのかはわからないが、人間の感情の動きなんかは非常にリアルだ。理解できない愛の行動に、いちいち観客も揺さぶられながら、一つのカップルの中から破壊していく、まるで寄生虫のような愛の狂気に翻弄されてほしい。
そして、お願いだから触れさせてほしいのだが、主人公、木村愛を演じた、山田杏奈さんがやっぱり美しすぎる。
今年の女優を個人的に選ぶとしたら、海外女優ではトーマシン・マッケンジー(『ラストナイト・イン・ソーホー』のエロイーズ役)で、日本女優では間違いなく、山田杏奈だ。
とにかく美しい。そして演技力もあるし、起用数がものすごく多い。彼女は今年、『ひらいて』以外にも『名も無き世界のエンドロール』や『哀愁しんでれら』、『樹海村』、そして『彼女が好きなものは』に出演。合計で5作品で主演を務めた。すごすぎる。僕は『ひらいて』のほかに『彼女が好きなものは』しか見られていないのが痛い点だ。
山田杏奈、これからもっと伸びていくと思う。なにより同い年なのがうれしい。親近感マックスだ。これからも応援するぞ!!!
4.オールド(原題:Old)
『シックス・センス』の成功により、その名が世界に知れ渡ることになったM・ナイト・シャマランの新作映画。
どうでもいいが、シャマランは映画のタイトルが非常にシンプルであることで有名で、ここ5年のタイトルを並べてみると、"After Earth", "The Visit", "Split", "Glass", "Old"という、この無駄がない感じ。面白い。
僕がこの映画で面白いと思うポイントは、一つの面白いアイデアを、ここまでうまく広げたということだ。登場人物をかなり多く登場させ、それぞれ別の運命を用意させる。みんなが同じ条件に置かれつつも、いろいろな悲劇迎えるというのは観客を飽きさせない工夫ができていた。
それに「時間」が経過することの恐ろしさをまじまじと突き付けられた気がする。時間は人に年を取らせるだけでなく、狂気と恐怖を植え付け、そして死、または命を与える。
その表現方法が独特で面白かった。時間が通常の何倍も速く進んで、24時間で寿命を迎えてしまうという設定の中で、寿命で亡くなる人はもちろん(おばあさんだけでなく、犬もまっさきに死ぬというのが個人的には刺さった)のこと、錆びたナイフで切りつけられてその錆びが化膿して亡くなる人(つまり応急措置など効かないということ)や、痩せすぎでカルシウムが足りなくなり、骨が折れ続けるもすぐに完治することから、体がひん曲がってしまう人(このシーンが一番怖かった)などの描写は、実際には検証できない現象だからこそ、観客の想像力に訴えるとともに、それに伴う恐怖を与えるという意味において、すごく成功していたと考える。
さらに撮影方法も称賛したい。老化によって目が見えにくくなって耳が聞こえにくくなるという現象を、カメラのぼかしとマイクのくぐもった演出で表現していたのは、正直見ていて恐ろしく、リアルに老化というものを、映画特有の演出方法で描いていた。
日本でも『浦島太郎』や『ブラックジャック』の70年間植物人間の少年が目を覚まして突然に老化が進む回などのように、いろいろと急激な老化に関する物語は見られたが、ここまでそれに対して真摯に向き合い、その恐怖をまじまじと表現した作品はなかった。
「老化」という誰しもが体験するものを、このように表現したことは斬新であり、全人類が見るべきものであると思うのである。
5.最後の決闘裁判(原題:The Last Duel)
レジェンド、リドリー・スコット監督の最新作。
この映画も以前語ったので、こちらの記事を読んでください!
【追記】
この映画の恐ろしいところは、決闘のシーンがグロいとか、女性が夫の知り合いにレイプされるとか、いろいろある。もちろんすべて背筋が凍るほど恐ろしいのだが、その中でも一番恐ろしいのは、この問題は映画の舞台である、1386年から635年経った今も、続いているという点である。
↑のnoteの記事にも書いた通り、妻のマルグリットにとっては、夫のジャンと自分をレイプしたジャックの対決の行方が問題なのではなく、自分の尊厳が損なわれているのが問題なのである。自分は子供を作る機械ではないし、夫を立てるための装置でもない。自分に主体性が認められないうちは、これらの現状は打破できないことを知りつつも、なお自分のために戦う姿勢は勇敢そのものであった。
しかし、夫が戦いに勝っても何も変わらなかった。自分の証言は夫の戦勝によって保証された。自分が何を言おうが、自分の力ではそれを立証することができなかったのだ。
今でもこの問題は尾を引いている。
今でも世界中いたるところで強姦事件は起きているが、日本では強姦の犯人を逮捕するのに、証拠がないと後日逮捕できる可能性は限りなく低いとされている。強姦が行われるのは、当然人目がない場所なので、目撃者がいる可能性も高いとは言えないだろう。
また警察庁の平成26年度の調査(リンク)によると、日本人女性全体の6.5%が異性から無理やり性交させられた経験を持っていた。しかもその被害をだれにも相談しなかった人の割合は、なんと67.5%にも上っていた。その理由として多かったのが、「人に知られるのが恥ずかしかったから」や「自分さえ我慢すれば何とかなると思った」などであった。
僕が思うに、相談しないのが悪いのではなく、相談できる環境がまだ整っていないというのが問題なのだと思う。海外では有名映画監督などによって、女優などが自身が受けた性被害を告発する、"Me Too"運動が勃発したが、やはり性的な問題に人一倍敏感な日本では、一般層までには浸透しなかった印象がある。悪いのは、当然レイプ犯。そして被害者を支える環境がきちんと整備されていないということだ。
『最後の決闘裁判』におけるマルグリットは、当時では異例だった性犯罪を告発する女性として描かれていた。最終的に彼女の証言は、彼女の意図しない形で受容されたが、現代では彼女が生きていた中世よりは、性被害者を支える基盤ができているとは思う。
しかし、決闘なき今、証拠だけが被害の告発を法的に支えることができる。であれば、僕らが法的以外の方法で人々を支えられる方法はなんだろうか。まずは性被害に遭った人に対する偏見のまなざしを取り除く作業から始めなければならないのだと思う。
この映画は現代にも通用しうる重要なメッセージを残してくれた。
以上です。いかがでしたでしょうか?
ほんとに、来年はもっと映画みたいな、最新作ね。
やっぱり古い映画が好きなので、どうしてもそっちにいってしまいますが、現代を捉えるうえで現代映画を見なければ始まらないですからね。
来年は頑張るぞ~~
ではでは、みなさま、よい1年をお迎えください。
そして、今年1年、というか3か月ぐらい、僕の記事を読んでくださったすべての皆様、ありがとうございました。特に何かしらの形で反応をくださった方々、創作の励みになっております。いつもありがとうございます。
来年もどうぞ、僕をよろしくお願いいたします。
では、よいお年を~~
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