クリープハイプのファーストアルバムについて語りつくす。
クリープハイプは、僕が深くハマった現代日本のバンドの一つだ。
ボーカルの尾崎世界観が率いる4人組で、2012年にメジャーデビューしたが、下積み時代は長く、けっこう苦労していたバンドである。
その辺に触れると長くなるので割愛!ググってね!
ところで、僕にとってクリープハイプのファーストアルバム、『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』(2012)は日本ロックの歴史に名前が刻まれるようなアルバムだと思っている。
このアルバムには、クリープハイプの魅力がこれでもか!と含まれている。僕にとって、クリープハイプとは、現代のロックに新たな風を吹き込んだパイオニアなのだ。少なくとも僕にとっては。いや、僕以外にもそう思う人はいるだろう。
まず、今まで僕はここまで赤裸々に性的なことを歌うバンドを聴いたことがなかった。2曲目の『イノチミジカシコイセヨオトメ』は、ピンサロ嬢の歌で、自分の境遇に悲観的な女性のことを曲にしているし、『蜂蜜と風呂場』はオーラルセックスの歌だ。前者は、単語も直接的で子供の僕でもわかったが、後者はかなり婉曲的に表現している。まぁ婉曲的と言っても、今の年齢になると察することができるが、10代の少年少女は騙されるに違いない。実際、僕は気づかずに聴いていたし。
それに加えて、バンドの成功前にはどん底にいた尾崎世界観のリアルな生活を歌っているというのもすごく新しかった。『バイトバイトバイト』では、尾崎の実体験なのか?と思うほど(実際そうなんだろうけど)、リアルで苦しいバイト生活を歌っている。「バンドのベースが就活を始めた」とか「彼女が妊娠しているかもしれないらしい」といった、自分の生活を大きく変えうることが起き、そのことで悩み、苦しみ、皮肉めいたことばかり思いつくような状況を曲にしている。
さらに、僕が好きなのは、尾崎世界観の怒りである。『身も蓋もない水槽』では、尾崎がつい最近感じたような怒りが、様々なモノに矛先を向け、感情と言葉が暴走し、非常に鋭い物言いで表現している。その矛先はバイト先の人に向き、「バイト先のクソが」の呼ばれよう。それに、彼にとって永遠のテーマとなる、パブリックイメージに対しての葛藤についても触れている。砕けた言葉で怒ることもできれば、これほど詩的に言うこともできる。
そもそも、クリープハイプは日本のロックに「エモさ」を与えた第一人者と言えるだろう。僕が中学のころに「エモい」なんて言葉はなかったし、その感覚を表現する言葉は「なんかいい」だった。
クリープハイプが放つ「エモさ」とは、堕落的な男女の生活や、貧しい若者の様子、俗に言う「不純なもの」や、屈折した愛情だ。
いわゆる「普通の恋愛」や「気楽な生活」などは、もう飽和状態だった。「男女が付き合う・別れる」や「君と生きていけるなら~」なんていう曲はもうリスナーは聞き飽きていたのだろう。
そんなところにクリープハイプが登場した。歯がゆくて後味の良くない「あの感じ」はむしろ僕らの心に響いた。考えられる中でも特に嫌な現実を、むしろ僕らは喜んで享受していた。今考えたらどういう論理でそうなったのか。非現実だとでも思っていたのだろうか。そんな現実など、すぐにでも起こりうるというのに。
あと、このアルバムの地味にいいところは、『ミルクリスピー』や『ABCDC』、『チロルとポルノ』などといった、「エモさ」とはあえて距離を置いた曲を、『バイトバイトバイト』や『身も蓋もない水槽』、『蜂蜜と風呂場』などといった、主張の強い曲の間に挟み込んでいることで、言葉を選ばずに言うならば「アク抜き」のようなこともしている点だ。そういうところもすごくうまい。やりすぎたらくどいもんね。
これはまったくアルバムには関係ないけど、尾崎世界観の髪型、マッシュはこのごろから急速的に流行したんじゃないかと思っている。もちろん、ビートルズからはじまったのは知っているけど、最近の日本の若い男性の中でここまで広がったのはほんとにこの時期からだったんじゃないかな?
このアルバムは、曲の順序・構成も、テンポ感も、メッセージ性も斬新で、非常に巧妙だった。だからこそ僕にとって、日本のロックの歴史ですごく重要になりうる作品だと思う、というかもうすでになっていると感じてる。僕は断っ然ファースト派である。2作目の『吹き零れる程のI、哀、愛』もいいんだけどね。
そんな感じで!とりあえず聴いてみてほしい!
また明日~~
小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!