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クリトリスの研究史

女性器の陰核(clitoris)、つまりクリトリスの話です。人類は長い時間をかけ、この研究課題に挑んできました。

現代のわれわれは、それを当たり前のように知っているかもしれませんが、16世紀に発見されるまで、クリトリスに関する科学的な研究はほとんど行われていません。多くの人がクリトリスについて知っていることは、近代科学が成し遂げた最も偉大な功績の一つと言っても過言ではないでしょう。

この記事では2020年にArchives of Sexual Behaviorというジャーナルで掲載された小論「陰核の小史」の内容を要約し、紹介します。この記事を最後まで読めば、歴史上、クリトリスの研究が一筋縄ではいかなかったことが分かるでしょう。

書誌情報:Charlier, P., Deo, S., & Perciaccante, A. (2020). A Brief History of the Clitoris. Archives of Sexual Behavior. doi:10.1007/s10508-020-01638-6

どこの誰が発見したのか?

クリトリスが初めて報告された年は1559年とされています。第一発見者はイタリア人のコロンボ(Matteo Realdo Colombo, 1516-1559)という医師で、イタリアで2番目に古い歴史を持つパドヴァ大学の解剖学教授でした(残念ながら、日本語版のWikipediaにはページがなかったので、英語版のWikipediaへのリンクRealdo Colomboを張っておきます。以下の記述でも各人名にリンクを張っています)。

コロンボの著作『解剖学(De re anatomica)』(1559)では、クリトリスについて女性の「喜びの座(seat of pleasure)」と記述されており、単に解剖学的な構造だけでなく、女性が性的興奮を引き起こす上で重要な機能を持っていることが明らかにされたことが確認できます。

初めてクリトリスを発見したのですから、これは科学史に残る一大事件です。しかも、これほど大きな発見ともなると、第一発見者をめぐる競争が起きても不思議ではありません。医学に限らず科学の世界では、このような重要な業績をめぐって第一発見者が競合することが珍しくなかったのです。

実際、クリトリスの研究でも第一発見者の問題が起きました。コロンボの後でパドヴァ大学の教授に就任したファロッピオ(Gabriele Falloppio, 1523-1562)はコロンボの指導を受けていた医師で、解剖学者でした。ファロッピオはコロンボが自分の発見を盗んだと訴えており、自分にこそ第一発見者の名誉が認められるべきだと主張しています。この記事で参照した論文では、ファロッピオの名前を紹介しているものの、基本的にコロンボを第一発見者として位置づけて紹介しているので、ここでもその立場をとることにします(ちなみに、このファロッピオについては日本語版のWikipediaでページがあるので、また興味があれば確認してみてください。彼は女性器の内部にある輸卵管を発見した業績を残した、立派な研究者です。ガブリエレ・ファロッピオ)。

本当にそれ以前には見つかっていなかったのか?

しかし、コロンボが第一発見者だとしても、読者はクリトリスの発見が16世紀だという説明に疑問を持たれるのではないでしょうか。確かに、人体の構造に関する研究は紀元前から行われています。そして、過去の文献を調べると、女性器に関する断片的な記述を見出すことができます。ただし、それらは正確さに欠け、曖昧さが多い記述であり、少なくとも生殖器の一部としての機能や構造が正しく理解されてはいませんでした。

医学の父とされるヒポクラテス(Hippocrates)は解剖学の研究成果を書き残していますが、彼も女性器におけるクリトリスの構造や機能を明らかにはしていません。ヒポクラテスは女性器に関連して、膣を保護するための突起であるコルメラ(columella)、腟口を保護するための突起であるウヴラ(uvula)について簡潔に報告していますが、これらがクリトリスを指しているのかは曖昧であり、ヒポクラテスがその存在を無視していた可能性も十分に考えられます。

2世紀に入ると解剖学の研究がさらに進みましたが、なかなかクリトリスの研究は前進しませんでした。当時、ソラノス(Soranos of Ephesus)というギリシア人の医師が女性器に関して「小さな多肉性の組織(small fleshy formation)」と述べており、ギリシア神話に登場する女神の名前をとってニンフ(nymphe)と命名しています。また、ギリシア人医師ルフス(Rufus of Ephesus)は女性の自慰行為に関する記述の中で、クリトリス(kleitoris)という言葉を初めて使いましたが、それが指し示す部分は明確にされていませんでした。クリトリスという言葉が使われた時期が、クリトリスの発見よりも先行しているというのは奇妙に思えるかもしれませんね。

2世紀のローマで大きな影響力を持っていた医師のガレノス(Galen, 129–216 AD)は男性と女性の人体は基本的に同じ要素から構成されているものの、生殖器については男性のものが外側に、女性のものは内側にある点だけが異なっていると真剣に主張しました。現代のわれわれにとっては、そんなわけないだろうと思うところですが、当時の学界においてガレノスの研究には権威があったため、その後も多くの研究者がガレノスの説を受け入れました。

古代のうちにクリトリスが発見されなかったことは、人類にとって、特に女性にとって非常に不幸なことでした。なぜなら、中世ヨーロッパにおいてクリトリスは「悪魔の乳首」と呼ばれ、宗教裁判で被告の女性が魔女であることの証拠とされる悲劇が起きたためです。裁判でクリトリスがあることが魔女の証拠とされてしまえば、女性は罪から逃れようがありません。クリトリスをもっと早期に発見し、その存在が広く人々に知られていれば、多くの女性が処刑されずにすんだかもしれません。

クリトリス発見後、研究はどう進んだのか

画期的な科学的発見が報告されても、従来の学説を守ることに必死になる人が出てくるのは世の常です。16世紀にコロンボ(あるいはファロッピオ)がクリトリスを発見したことはすでに述べましたが、その後もクリトリスの実在を否定する研究者がいました。現代人の常識からすると、これもなかなか信じ難いことですが、それほどクリトリスが存在するということは専門家にとってショッキングなことだったのです。

例えば、16世紀ヨーロッパで近代解剖学の創始者とも称されるアンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius, 1514-1564)という研究者がいます。ヴェサリウスは神聖ローマ皇帝の侍医としても勤務した医師です。人体解剖によって得られた知識に基づき、ガレノスの研究に含まれる間違いを数多く特定した功績が高く評価されています。その意味でヴェサリウスは近代的な科学者だったと言えますが、彼はクリトリスの存在を否定してしまいました。せっかくコロンボが報告を残したのに、その後の研究がなかなか進まなかった背景には、こうした非科学的な偏見が根強く残っていたと考えられます。

17世紀になると、オランダの医師であり、解剖学者でもあるグラーフ(Reinier de Graaf, 1641-1673)が本格的に生殖器の解剖学的研究に乗り出しました。グラーフの成果によって、クリトリスに関する理解はさらに正確さを増していきました。そのグラーフも1672年の著作で、これまで多くの解剖学者がクリトリスについて研究していないことに驚きを隠しておらず、その知識を改善するためにさまざまな解剖学的報告を残してくれました。しかし、グラーフは信仰上の理由で大学に教職を得ることができず、32歳の若さで死去してしまいました。

クリトリスの研究がより本格的に始まるのは19世紀に入ってからであり、ドイツの解剖学者であるコベルト(Georg Ludwig Kobelt, 1804–1857)がクリトリスと神経系の関係に関する最初の研究成果を報告してから、さまざまな研究が出てくるようになります。さらに20世紀のオーストリアで精神分析の研究で有名なフロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)の研究によって、人間の心理的な発達と性的発達の関係を説明する理論に関心が集まるようになると、クリトリスが科学的な研究の対象として注目を集め始めました。

20世紀においても、クリトリスに関するタブーが学界から完全に払拭されたわけではありませんでした。1948年に出版された解剖学の教科書『グレイの解剖学』において、クリトリスの解説が省略されていました(Gray, H. 1948. Gray’s anatomy: Anatomy of the human body (25th ed.). London: Lea & Febiger)。第二次世界大戦後においても、このようなことが起きていたことには驚くほかありません。しかし、やがてクリトリスに関する解剖学的な知識が普及していき、女性がオーガズムを得る上で重要な機能を有することが理解されるに至っています。

おわりに

クリトリスの研究史から、われわれは多くの学びが得られるでしょう。最も重要なことは、いったん非科学的な偏見や思い込みが定着すると、それだけで科学の進歩が大いに妨げられることがしまう危険があることです。

ヒポクラテス、ガレノス、ヴェサリウスは医学の発展に多大な貢献を果たしました。しかし、彼らでさえ、クリトリスの研究においては満足すべき成果を上げることができず、ヴェサリウスに至っては、すでに報告されていたクリトリスの存在を否定するという過ちを犯しました。

はじめにも述べた通り、21世紀の現代人にとってクリトリスに関する知識はすでに当たり前のものになっているかもしれません。しかし、この知識を得るために科学者が歩んだ道のりは決して平たんなものではなく、そのために無慈悲に命を奪われた女性さえいたという歴史を忘れてはいけないと思います。

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