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優しい人って、ようはお腹減ってる人の食べたいものを一緒に食べてあげられる人day one

乾杯!!!

今年も秋の呑み書きがやってきた! 季節ごとのこの風物詩が私は大好きです。
参加ルールはいたって簡単。

・好きな飲み物を呑みながら書くこと(お酒、ノンアルコールドリンク、お茶OK)
・ほろよいでも泥酔でも雰囲気でもいいから酔っ払って書くこと
・書きあがったnoteは見直さず寝かさず、即公開すること

月末までやってるから、始めましての人も久しぶりの人も、何あらnoteでまだ記事書いたことないよーって人も参加してみてほしい。(こんな感じで誤字はそのまま!)



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やー、なんかさ。この10年くらいで、「優しい人って、ようはお腹減ってる人の食べたいものを一緒に食べてあげられる人だなー」って思ったの。

25歳くらいから6年くらい鬱病だったんだけど、その間ずっと隣にいてくれた人ったちって、「お腹減ってないのにご飯をすすめること」「減ってても食べたくないものを提案されるkとお」が、不親切どころじゃなくて、結構傷つくってことをちゃんと身をもって知ってる人たちだったんだよね。



どういうことかっていうとさ、ちょっとセンシティブな例えになっちゃうけど、たとえば「毒親」って言葉あるじゃん。そりゃネガティブな言葉だし、そりゃないに越したことない言葉だと思う。

「親のこと毒親って呼ぶのはよくないよ」って言っちゃう人が、さっきの例えでいう、不親切以上の人だなーって。


そりゃみんな思ってるし、子供がわも呼びたくて呼んでるわけじゃないじゃん?

多分毒親のとこrに生まれたって人は、同じ境遇の人にそんなこと言わないんだよね。ただ「辛かったね」とか、「今まで頑張ってきたよねうちら」って、隣に一緒に座ってあげられる。



正しいことを言うなんて誰にだってでいるけど、言えばそれはいった側には「親切してあげた」ってことになるんだけど、何ならいい気持ちになっちゃったりするんだろ言うジェド、言われた側にとっちゃ不親切どころかすっごく嫌な気分になっちゃう。

経験したことないことを想像するってめっちゃ難しいけど、それでも目一杯想像して、想像してもしてもきっと相手の歩んできた人生はどうしたrてちっとも想像できないから、せめて相手の持つ意見やスタンス、使う言葉に敬意を払って、正しさでそれを否定しない優しさっていうのかな。


そういう人になりたいって、ここ10年くらい私を支えてきてくれた、そして支えてくれる人たちを見て、すごく思う。


私は子どもは今回の人生産まないって決めてて、それはそれなりの理由や過去があるからなんだけど、それを説明しても平気で「女性は子ども産んだほうが幸せだよ」とか平気で言う人、今はぶん殴りたいって思うんだけど、でも私もそう言うこといっぱい言ってきちゃったなーって、すごく反省してる。

どれだけ正しかったり、仮にそっちの方が本当に幸せになれる未来があったとしても、勝手に人の幸せを決めつける失礼をすっごく働いてきた。それは逆に言えば私がすっごく恵まれてきてて、自分では色々不満はあっても、不自由してこなかったから言えてたんだなって。目に見えるものばっかり追いかけてきちゃったから言えちゃう。
 


どんなに正しいことでも、それを言わずに、そっととなりに腰掛けて、おんなじ景色を見ようとする人でありたい。経験したことのないことを勝手に想像して簡単に「わかるよ」なんて言わずに、わからないことをわからないまま、背中を撫でてあげれるような人でありたい。


って思いながらも無意識に誰かを傷つけることは今後も絶対下ゆし、しちゃうし、でもそのたんびにこのことを思いだしたいなって。今私の周りにいてくれる人は、ほんtぷに、本当に、本当の意味で「優しい」人たちばかりだなって思うから。優しさを学ばせてもらいたいなって思うし、この場でお礼を言わせてね、いつもホニョに、なんで大事なところで誤字るんだ、も一回! いつも本当に、ありがとう!!!



tuisinn

最後に本文を一部コピーしてタイトルに貼って語尾付け足したら、まるでDAY2以降があるみたいあになっちゃったけど、day1じゃなくて「だよね」です!ないです!!w


「サポート」ってちょっとわかりづらいですが、チップとか投げ銭みたいなものです。読めてよかったな、これで珈琲でも飲んでくれよ、と思ってもらえたら、どうぞ投げてやってください( サポートの通知を見たら嬉しくて飛び跳ねています )