17の時の中絶と、20になった今までの話
今年、私はハタチになりました🎉
20歳は世間的には節目の歳みたいなので、
中絶、この活動を始めたあとのこと、そしてこれからのことを書こうと思います。
自分が自分にする決意、そして過去の出来事の整理のために。
先に結論を書くと、
メンタルしんどかったこともあるけど、今は中絶という選択に後悔はない
という感じです。
感情のままに自分のために書いた文章なので、読みにくいところもあると思います。
申し訳ございません。
中絶に至った経緯とか自分で書き出すと長くなるしまとまらなくなるので、Twitterのリプか質問箱か何かで聞いてください。
答えます。
(聞かれて答えるのは全然嫌ではないので…)
そして、ここから書く内容は、あくまで私が感じたこと。
中絶した他の人もこう感じるという訳ではありません。
私のこの記事を根拠に、他の人のことは責めないでくださいね。
中絶した人が、その人らしく、楽しく毎日を過ごせたらいいなと私は考えています。
同じ月の、29日と27日と26日
自分の誕生日前くらいになると、中絶について色々考えます。
私の誕生日は29日です。
産む選択をしなかった、私の子どもの出産予定日は、同じ月の26日でした。
私が産まれる時の出産予定日は、またも同じ月の、27日でした。
何が言いたいのか、わかる人もいるかもしれません。
"産んだら、自分と同じ誕生日になるかも"
初めて出産予定日を聞かされた時に感じたことです。
この時だけ
本当にこの時だけ
産みたいと思いました。
…言葉が足りないですね。補足します。
ずっと産みたいということは頭にありました。
でも、まだ学ぶ時間が欲しい、今産んだら経済的に苦しくて子どもを幸せにしてあげることはできない。
そう考えて、中絶を選びました。
とても強い意志でした。
その強い意志は、私にとって当然のものでした。
今その瞬間にも育っている私の子どもの命に関することです。
生半可な気持ちで選択できません。
「産もうかな、どうしようかな、でもやっぱり自信ないから産まないでおこう」といったような、まだ迷いがあるような状態では中絶したくなかったのもあります。
どうしよう、と迷うのではなく、その時間さえも産まないことで出合う未来に向けて動き始めたかった。
だから、1度決めた「中絶」という選択を曲げたくはなかった。
迷わないように、私はエコーを見ますか?と先生に聞かれた時も、「見ません」と言って見ませんでした。
見てしまったら、産みたくなると思ったから。
でも、出産予定日を聞かされた、あの時だけ少し揺らいだんです。
「産みたい」って。
私と同じ誕生日になるかもって。
結局、揺らいだものの中絶を選びました。
でも、自分の誕生日を迎える度、
産んでいたら〇歳になっていたんだな
と感じます。
可愛かっただろうな~
とか
産んでいたらどんな生活してたんだろうな~
とか
考えます。
でもね、その時同時に、
『産んでいたら、中学から通ったあの学校を卒業出来なかったんだろうな
あの学校で過ごした時間、すごく楽しかったな
それを感じずにいるっていうのは考えられないな』
『今活動する中ですごく充実した生活をしているけど、産んでいたら多分この活動はしていないし、そしたら私何してたんだろう』
って思うんです。
「産みたいな」って思っていたけど、中絶した後に経験したことが私の中でとても大きくて、中絶して良かったなと思います。
あの選択は間違っていなかったと再確認できる時期が、私の誕生日のあたりの時期です。
過去―中絶してから その後悔
後悔は、死ぬほどしました。
産みたいと少しでも思っていたんだから、産めばよかった
産んでいたらどうなっていたんだろう
子どもに会いたかった
私は…
延々こんなことを考えていました。
本当にずっと。
いや、正直今でも考えます。
夜になると訪れる確率の上がるフラッシュバック
中絶直後は、時間関係なくフラッシュバックしていました。
フラッシュバックすると、子どもに対して「ごめん」という感情が大きくなって、涙が止まらなくなります。
これ以上考えても仕方ないって、最近は思えるようになりましたが。
身体の震え、硬直、呼吸が浅くなる、集中力の低下
この辺の症状をすごく感じました。
今でも、体調悪い時は呼吸が浅くなって、家から3分で着くコンビニに行くことすら辛くなることはあります。
多分一生後悔は続くんだろうなと思います。
色んなこと学んで、中絶は悪では無いって知ってるし、私もそれを主張するけど、やっぱり後悔とか罪の意識は完全には消えてはくれなくて。
メンタルが苦しくて、辛くても、この後悔が消えるのも怖い。
あの子の存在がなくなってしまうようで…
中絶後、自分が自分に課した「義務」
私は、人生で達成しなくてはいけない「義務」が3つあります。
中絶して、子どもの命をなかったことにしたからには、何もせず生きることはできないと中絶を決めた時から考えているからです。
(私がそう考えただけで、他の人も義務を感じるべき、とかそんなことは全くありません。その人が、その人らしく、できるだけ充実した毎日を過ごせたらいいなと思います。)
1つ目は、自分が行ける最もレベルの高い大学に行くこと。
私は、学び続けたくて、自分の将来の生活を安定させたくて中絶を選びました。
だから、学歴社会の日本にいることもあって、自分の行ける最もレベルの高い大学に行くことを自分の義務として課しました。
結果、この義務はもう達成しました。
私は、私立大学も一般受験しましたが、偏差値関係なく全部落ちました。見事なまでに全て。
その中で、AO入試を使って国立大学に入ったので、これは義務を達成したと言っていいよなと。
少し義務を付け足すとするなら、大学を無事に卒業することかな。
2つ目の義務は、できるだけ性教育を広めることです。
私の中絶当時のパートナーは、私が妊娠するまでセックスしたら妊娠するということを実感として感じられず、避妊の必要性をわかっていませんでした。
それは、中高通して彼がまだ全く性教育を受けたことがなかったから。
性教育をされていれば、もしかしたら私の妊娠もなかったかもしれません。
私の妊娠は防げたものだって明確に考えてしまうと、悔しくて仕方ありません。
中絶をして、辛い思いをしたからこそ、私と同じ思いをする子を減らしたい。
そのために、性教育を広めます。
この義務は、いつ達成されたかハッキリわかるものではないけど、とりあえず私の中での永遠の義務として。
3つ目は、妊娠した子が通える高校を作ること。
私は、妊娠しても学校に通い続けられる状況であれば、学び続けることができる状況であれば、中絶していません。
産みたかったのに、学生かつ親であることを受けいれてくれる仕組みがなかった。
10代で妊娠した子の学びを保障するような制度が充実していなかったがために中絶し、悔しい思いをしました。
2つ目の義務のところでも話しましたが、私は私と似たような理由で中絶して、私と同じ思いをする子を本当に減らしたい。
そのために私は義務を達成します。
私の子どもへの思い
産んであげられなかったとはいえ、私の最初の子どもであることには変わりはありません。
とても愛しています。
言葉で表せないくらい、愛しています。
でも、もう生きているわけじゃないから、愛情を直接表現してあげることはできない。
だから、私は中絶をきっかけにやろうと思ったことを頑張ることで、子どもへの愛情を表しているつもりです。
私が義務を達成した時に、
「あなたがいたおかげでできたんだよ」って伝えたい。
そして、どこかで私の子どもが私のことを見ていて、
「なんかお母さんすごいな、あの時産まれなくて正解だったのかも」
って思ってくれたら嬉しい。
死後の世界なんてわからないけど、もしどこかで見てくれているのであれば、どうせなら「すごい」って思って欲しいんです。
それで、私の子どもが自分の存在した意味を感じてくれたら嬉しい。
スピリチュアルっぽい話になってしまいましたが、私の中で私の子どもの存在が大きいことは絶対に事実です。
2019年9月に、ある場所で私は、
「(私の子どもは、)きっと私が後悔して、悲しんでいるところはあまり見たくないだろうな、と。
だから、性教育の講演をすることで、産まれてこれない赤ちゃんを1人でも減らしたいし、もし10代の女の子が妊娠しても産める環境を作ることで、自分の子どもへの申し訳なさを償おうとしています。」
と言っています。
でも今は、「償う」という意識はあまりありません。
どちらかというと、活動を頑張ることで愛情を表しているという感じ。
中絶してから感じてきた「罪の意識」は減ったように思います。
それは、性教育の活動をそれなりにしてきて、妊娠した子が通える高校を作る活動を実際に始めたからかもしれないし、SRHR(性と生殖の健康と権利;主張されるものの1つに、「中絶は権利」がある。)を理解したからかもしれない。
なぜ罪の意識が減ったのか明確にはわからないけど、罪の意識が減ったことで精神的には楽になりました。
苦しまなくていいんだって思えるようになったのかもしれません。
活動―活動を始めたことで変わった中絶への思い
私は、中絶で辛い思いをする子を減らしたくて性教育の活動を始めました。
中絶の辛さを知って欲しくて活動を始めました。
でも、中絶の辛さばかりを強調してしまうと、これから先中絶するかもしれない人や、もう中絶することを決めている人が、より苦しい思いをするかもしれない。
中絶に恐怖感を持って、その時点では中絶という選択がベターなのに、中絶という選択ができなくなるかもしれない。そして、産んだ後苦しむかもしれない。
そして、何より中絶は権利です。本来罪悪感を感じなくて良いもの。中絶は悪ではない。辛さを伝えたことで、その選択肢を減らす訳にはいきません。
性教育の活動を始めて、これらのことを指摘されてから、中絶のことをどう講演で話すかかなり迷いました。
中絶は権利、でも辛い思いすることは中絶する前に知っておきたかった。
この2つのことを同時に伝えるにはどうしたら良いのか、既に性教育の活動をしていた人にすごく相談した記憶があります。
色んな人と話す中で、なんとなく私の中で整理されてきて、ある講演の中でうまく話せるようになりました。
その講演では、講演を依頼した方が、
「みゆさんの中絶の話良かった」と言って下さって、すごく嬉しかったのを覚えています。
活動―今までやってきたこと
2019年夏以降、とにかくがむしゃらに
「教職員とその卵のための性教育」講演の企画をしました。
とりあえず赤字にならないようにするために、集客が大変で苦労したのを覚えています…😅
でも、そういう経験を大学1年の頃から出来て良かったなとも思います。
企画中、集客について悩みすぎて私の口数がどんどん減っていったのか、中絶以来性について話すことのなかった母が色々話を聞いてくれたり、ポスター作ってくれたり、講演行きたい!と言ってくれたり、すごく助けられました。
講演を聞いたあとの母はもうアドレナリン出過ぎているのか何なのか知らないけど、3ヶ月くらい企画し続けていたものが無事に終わって眠くて仕方ない私のことなんて気にせず、夜1時とか2時まで性についてひたすら語っていた記憶があります😅
頼む、寝させてくれ…って思ってはいたけど、ありがたかったし、性について理解してくれたのは嬉しかった。
何をそんなに語っていたのか思い出せないけど…😅
その後は母とも性について普通に話すようになりました。
家の中で「セックス!」とか「コンドーム!」とか普通に出てくるようになりました。
2020年4月、stay homeになり、大学が始まる時期が遅くなって暇になった私は、Instagramで性に関する発信をし始めました。(今出来てないけど💦)
私は画像加工が苦手なので、手書きで書いたのをスキャンして投稿していましたが、それを見た母が「画像データで作るよ!」と言ってくれたので、原稿を渡して作ってもらうようになりました。
その時もめちゃくちゃこだわってくれるし、原稿の私の表現を見て、「これこうした方がいいんじゃない?」「ここもっと詳しく説明した方がいい」とか色々意見言ってくれました。
活動を純粋に応援してくれる母の存在、本当に大きい。
そして、今(2020.12)。
夏に縁があって、私と同じように妊娠した子が通える高校を作りたいと思っている人に出会って、その人といちごという団体を作って学校設立実現に向けて活動しています。(2022.6現在、休止中)
中絶後に子どもの命をなかったことにしたんだから、何かしなきゃと追われるように始めた活動、今はその活動があるから毎日が充実していて、楽しむことが出来ています。
これから―私が得たこと 中絶への思い
今後も、残った2つの義務を達成するために頑張るのみです。
義務を達成するために必要なことは、絶対に勉強して身につけていく。
妊娠した子が通える高校、絶対に作ります。
周りになんと言われようと、絶対に。
最近、友達に「みゆは自分の芯があるからかっこいい」って言われるようになりました。
その「芯」を作ってくれたのは、確実に私の子ども。
また、色々な方に興味を持ってもらえることも増えました。
Twitterのフォロワーさんだったり、私の活動を紹介したいと言って下さるメディア関係の方だったり。
色んな人に興味を持ってもらえるような活動をしている自分でありたい。
私は、予定外の望まない妊娠、そして中絶を経験して、
主体的に学ぶ理由
妊娠した子が通える高校を作るという夢
「性教育を行う」という自分がやるべきこと
自分の芯
どんな自分でありたいか
これら全てを確立させることができました。
本当に苦しい思いしたし、今でも辛い日はあるけど、中絶はマイナスなものだとはもう思っていません。
プラスになることもあるものだと思っています。
だから、中絶してまだ心の整理がつかない人も、これから中絶を選択するかもしれない人も、どうか「中絶はマイナスなもの」と考えすぎないでほしいと思います。
「今」は無理でも、いつかは前を向ける時が来ると思うから。
完全に前を向けるまでには時間がかかっても、少しずつ前を向けるようになると思います。
中絶が、ポジティブな選択肢であること、権利であることが浸透しますように。
そして、予定外の妊娠を少しでも減らすこと、妊娠後も学び続けられる環境を作れるよう今後も頑張っていきます。
自分のためにまとめた文章で、感情のままに書いた文章なので読みにくいところもあったと思います。
失礼致しました。
長々とありがとうございました。