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「根底の恐怖」

「根底の恐怖」の発見

最近、FAPを受けていた中で最大の出来事は「根底の恐怖」の発見である。「根底の恐怖」とは大嶋信頼先生(先の記事では客観性を保つことを意識して大嶋さん、と書いたが、普段は大嶋先生と呼んでいるので、そちらに戻します)が「それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?」という書籍で提唱している、自身の根っこでトラウマの元凶となっている思考ないし感覚のことだ。目を開いたまま「◯◯の恐怖」とつぶやいてみて、心がしーんとなって何も感じなければこれが根底の恐怖である。◯◯の中はとりあえず何でも良い(例:見捨てられる恐怖など)。つぶやいてみて心がざわつくようであれば、残念ながらハズレである。その恐怖の下に更なる恐怖が隠れている、と考える。

これ、簡単なようで非常に難しい。だって、トラウマを抱えている人は心の中にいろんな恐怖・葛藤を持っていることが常だからだ。私も例にもれず、たくさんの恐怖・葛藤があり、カウンセラーの先生の助力を得ても全然特定できなかった。だから諦めていたのだが、これが最近、できてしまった。

「愛されない恐怖」

私の場合、根底の恐怖は「愛されない恐怖」だった。ずっと恋愛にコンプレックスを抱えており、好きな人が現れても、チャンスが訪れてもアタックすることに躊躇してみすみす逃してしまう、ということをずっと繰り返してきた。自分は恋愛不適合者なんじゃないかと真剣に悩んだが、なかなか解決できなかった。

先の記事でトラウマの原因になっているストーリーに気づけた、と書いた。カウンセリングの予約をし、何を相談するか心に聞いていたら突然思い出したことがあった。母方祖父が浮気性だったのだ。私の知っているエピソードとしては、私が生まれて両親が祖父母宅に顔を見せに行ったときのこと、母の実家近くのデパートで父・母・赤ん坊の私の3人で買い物をしていたら見知らぬ若い女性と二人連れでデートしている祖父と鉢合わせた、というものがある。

一方で、母方祖母はそんな状況に声を荒げることは絶対しない人だった。むしろ祖父に尽くし、祖父の実家に尽くし、孫ができる年になっても自分の実家に尽くす「出来た」人との評価を確立していた。ちなみに、祖母の実家も複雑で、当時健在だった私の戸籍上の曽祖母は祖母と血が繋がっていなかった。

私はそんな状況をみて、ずっと祖母は人間が出来ていると思い込んできたが、根底にわずかな引っ掛かりを覚えていた。今は祖母も祖父も曽祖母もこの世におらず、以下は私の心が私に伝えてきたナラティブ(物語)である。

私のナラティブ(物語)

祖母は、実は納得などしていなかった。内心では浮気を繰り返す祖父に怒りを覚えていた。一方で、自身の出自も相まって、常に見捨てられる、愛されない恐怖を抱えた人だった。良妻賢母として振る舞うことで、その恐怖と向き合うのを避けてきたのである。また、こんなに尽くしてもどうせあなた方は私を傷つけるんでしょう、という歪な感情を抱いていた。これをFAPでは「偽りの快感」と呼ぶ。

FAPでは親や家族などの身近な人からネガティブな感情を受け取ってしまい、解消できない不安として自分の中に根付かせてしまうことがあると仮定する。私の場合、祖母の抱えた祖父の浮気への嫌悪と見捨てられる恐怖、復讐の一種である偽りの快感がないまぜになった状態で母から連鎖的に伝わり、それがトラウマになって、恋愛はいけないもの、人から愛されないことも怖いことなので恋愛などしないほうがいい、人を信頼しない方がいいとの歪んだメッセージを受け取ってしまっていた。そして愛されたくても愛されない恐怖となり、私の「根底の恐怖」を形作っていたのである。

心が静かになる

「愛されない恐怖」が根底の恐怖であるとは、上記のナラティブをカウンセラーに伝え、トラウマ治療を受けている最中に突然浮かんだ。途端、心がしーんと静かになった。悲しみも怒りも戸惑いもなく、ただ静かなのである。以前、根底の恐怖を特定しようとしたときは心がざわめいて全く奥底にたどり着けなかった。祖父の浮気性や祖母の反応も失念していた。おそらく、まだ受け入れられる状況になかったのだろう。トラウマはショックが強いほど忘却する、と多くの心理学の本にある。まさにその状態だったのだと思う。

根底に流れるナラティブに自力で気づいたことで、根底の恐怖も特定できた。ここまで本当に長かったが、開放が近いと感じている。

本当は…

今回のnoteの記事は大嶋先生の著作の中でも特に好きな「無意識さんの力で無敵に生きる」の書評を書こうと思っていた。だが、心が「根底の恐怖」について書けという。心に従って書いてみた今回の記事が、FAPでトラウマの解消を目指す人々の一助になれば幸いである。

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