Tracker side 寒山寺真
謎のサイトShould I Save It?は、公開されるや否や、ネット上で騒がれ始めた。一部のテレビ・出版などのメディアも早速追従したが、正月気分の世間ではまだ知られていなかった。
明らかに犯罪の匂いがするので、本来ならば警察組織も動き出すはずなのだが、犯人(?)からの要求もなければ被害者(と見られる)からの捜査願いも無い現状では、管轄すら決まらないであろう。
しかし、実際には警視庁公安部だけは秘密裏に動き始めていた。掲示板のタイトルを短縮するとSISI(ISISの逆)となるため、公安総務課のサイバー攻撃特別捜査隊のウェブスクリーニングで引っかかったからである。
このサイトが公開されたのは、正確には2017年1月1日0時ちょうどである。サイバー捜査隊の係員(階級は巡査部長)寒山寺 真(かんざんじ まこと)は、日勤だった大晦日の残業が深夜までつづいたため、ベッドにもぐりこんでからそれ程時間が経っていなかった。しかし枕元で充電中のスマホに、非情にもたたき起こされた。画面には係長(階級は警部)小西 信恭の名前が、寒山寺が密かに付けたあだ名である「プーさん」と表示されている。しかたなく電話にでると、小西は済まなさそうにこう言った。
「朝早くで申し訳ないが、またISIS関連で網に引っ掛かったのがあるんだが、いつもとはちょっと違うんだ。悪いけどまた出てきてくれないか?」
~明日は夜勤で寝坊できるはずだったのが、これじゃ明後日の昼までぶっ通しか~
と眠いながらも一瞬でこの後の予定が見えてしまった。 勘弁してくれと言いたいのは山々だったが、
「わかりました」
と丁寧に返答し、登庁することにした。
「誰から~?」
と寝ぼけた声で妻の瑠璃子聞いてきたが、
「ごめんまた行ってくるよ」
とだけ言い残してスーツに着替えた。
~瑠璃子と約束していた初詣は埋め合わせしないとな~ 心の中でつぶやいた。
配車アプリで呼び出したタクシーの中で、プーさんからの電話の30分前に届いていたメールを見てみた。といってもスクリーニングシステムのサーバーから、サイバー捜査隊全員に自動で送られてくる味気ない、いつもの文面である。大抵はSNSで極右・左、デモ、カルト関連の書き込みがあったことを示すものや、警察組織向けのサイバーアタックなどを示すものなので、他のコンピュータオタクの隊員が担当するのであるが、実サイト在りの場合は自分の担当であった。特に海外のサイトや、サイバー犯罪組織が対象の場合、英語が堪能な自分がメインの担当になる。取り敢えず、サイトへスマホでアクセスするのは危険だったので、後部座席で揺られながら、一通りサイトのアドレスだけを追ってみた。中国、ニカラグア、ウズベキスタンなど、偽アドレスにありがちな国名が並んでいた。こういうアドレスを使って、匿名でも契約できるデータセンターにでもサーバーを置かれたら、簡単には手が出せなかった。次に警戒レベルに目をやると、まだ5段階の一番下の5である。
~なんでレベル5で夜中にたたき起こされなくっちゃいけない?~
訝る気持ちに拍車がかかった。
小西は庁舎内の特別室にある端末の椅子に大きな背中を持たれかけてため息をついた。後ろから見るとそのすがたは、なるほどプーさんが蜂蜜を食べて満足そうにおなかをさすっているように見える。ただしその口からもれるセリフはとても似つかわしくなかった。「やっべーな、これマジで監禁してねーか?」。
こうして何度も振り返って窓越しに見えるサイバー捜査隊のデスクに目をやったが寒山寺の姿はまだない。この部署は4交代制なので、今いるのは係長の自分と夜勤の者が数名だけである。電話をかけてからもう45分経つのでそろそろ登庁してきても良いころである。
特別室のドアが電子錠の解除される音と共に開いた。寒山寺は開口一番ボソッと呟いた。「コリャ、正規のルートで外国警察に照会かけてると半年かかりますね。で、一体どんなサイトなんですか?」
その言葉を聞き終わる前に小西がパソコン画面を指差した。23インチもある大型のイイヤマ製のモニターに映されているのは、何度も見たことのあるISISのサイトではなく、やけにシンプルな画面である。トップにShould I Save It? と表示されていて、2つの黒っぽい四角がある。寒色系の背景色であることを除けばアダルト系のライブチャットのようなデザインだ。各々の四角の右上には金額と想像できる数字が2つ表示されておりひとつには解放額と表示されている。更にその下には何やらカウンターらしき表示もある。
おもむろに小西が説明を始めた。
「今は暗くて見えにくいが、どうもこの窓ひとつずつに誰かが監禁されているようだ。この金額をカウンターの残り時間の間に支払えば無事解放される。そして払わなければ終わりということのようだ」
「誰か被害届は出ていないのですか?」
「いや、まだそれらしいのは出てない」
寒山寺は一通り全部の窓を眺めてから一つを指さした。
「この女?の残り時間が一番短いですね」
頷きながら小西も続けた。
「そうなんだけど…被害者・被疑者共に不明。もしかしたら悪戯かもしれないナ…」
一呼吸おいて寒山寺。
「残り1日ちょっとじゃあ捜査する当ても無いですよ。おまけに、これじゃあ捜査開始の決裁申請も上げられないじゃあないですか?」
「ところで、金はどうやって払えと言っているのですか?」
「いや、ウェブマネーのアドレスが一つ、ここに書いてあるだろう? どうやらここに振り込めってことらしい」。
暫しの間、沈黙が二人を包んだ。
となると、最初の被害者が出るか犯人からの何らかのメッセージがでるまでは、様子見しかできないということだろうか?だとしたら、わざわざ夜中に呼び出されなくてもよかったのではないか、瑠璃子との約束を反故にしてまで出てくる必要は無かったのではないかと、寒山寺には少し怒りにも似た感情が湧いてきた。そんな寒山寺の気持ちを察したのか、小西がいつもの申し訳なさそうな顔で言った。
「で、君が呼ばれたのは…だね…この件が課長の耳にも入っているんだが、参事官や部長が騒ぎ出す前に、できるだけ調べておくようにとのことなんだ…正月中にね」
なるほど、早めに調査だけは始めろということか。怒りの感情は、あっという間に諦めに変わった。捜査体制も令状も無いのでは調べられることはかなり限定されてしまうだろう。 だが、それらがあったとしても左程変わらないかもしれなかった。
まず手始めに、この謎のサイトを調べてみることにした。物理的なサーバーの場所を突き止めるのはすでに調査不能である。ウェブサイトはどうやら一昔前の一般的なウェブ作成アプリで書かれているようだ。利用者は、少なくても世界中に数百万人はいるだろう。 シンプルな作りのサイトなので、それを構成しているテキスト情報をざっと流し読みしてみたが、監禁されていると思われる映像は世界中のサーバーを経由していると思われ、これも追跡不可能である。 最期望みの綱はウェブマネーのアドレスであるが、当然秘匿性が高く、日本人が持ち主かどうかさえ見当も付かない。
類似の事例を紹介するために、国際刑事警察機構(ICPU-Interpol)のサイトへアクセスするための決裁をもらおうとして、特別室の隣にあるサイバー隊の部屋にいるはずの小西を探した。 が、姿は見えなかった。 仕方がないので、もう一度ウェブサイトのテキスト情報を見てみた。今度はシンタックスハイライトと呼ばれる特殊な機能を使って色分けされた言語情報などを流し読みして、ある場所でページのスクロールを止めた。
「これは何だ?」ハイライトされた文字列を並べてみると、今までにみたことのないコードだった。
“Auferre, trucidare, rapere, falsis nominibus imperium”
「ん? イタリア語か?」
検索してみると、これはローマ時代の歴史家タキトゥスのことばであることが、分かった。
その意味は、“偽りの名のもとに破壊、殺戮、強奪を行うことを、彼らは支配と呼ぶ。”
「何だこれ?」
間違えて、ここに挿入してしまったのか、何かしらの暗号のように使っているのだろうか?それとも、ダ・ヴィンチ・コードのように犯人が何かのメッセージを残すためにわざとおいたのであろうか? すると、急に自分が犯人を追い詰めるラングドン教授のように思えてきた。 で、ここはルーブル美術館?……
行き詰まったところで、寒山寺は窓の外にぼんやりと見える、薄暗い景色を眺めた。
「今年の仕事始めは、タキトゥス・コードですか…」
何気なく画面に目をやると、いつの間にかもう一つ画面が増えていた。
~女、少年?、男~ またため息が漏れた。
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