推しがお星さまになった日のこと
いきなりですが、暗い話です。
タイトルの通り、推しがお星さまになりました。黄泉の国へ旅立ちました。つまり、死にました。
今回、亡くなった推しは3次元の人間ではありません。でも2次元の世界の話ではありません。2次元でも割りと推しが死ぬ事が多いタイプの私ですが、今回は3次元の話です。
この度、亡くなったのは人間以外の動物です。私がこの5年ほど研究対象にしていた推しが天国にいきました。
亡くなったのは、これを書いている現在より1週間ほど前のことです。今回は心の整理をするため、章立てして書いていこうと思います。
1.推しが天国に行ったことを知ったときのこと
2.推しと死
3.推しとの出会いで変わったこと
4.さいごに
以上です。よろしければお付き合い下さい。
1.推しが天国に行ったことを知ったときのこと
推しの死を知ったのは、知人のFacebookです。Facebookってすごいよね、特定のコミュニティに瞬時に情報が共有されるんだもの。投稿されたのは私よりも今回亡くなった推しに思い入れがある方で、何がどうなったとは言わず、大好きだよ的な言葉と共に推しの写真を投稿された。
それを見て投稿の真意に気づいた人は少なかったと思う。私は投稿主とわりと仲が良くなんとなく含みがある投稿だと気づいたこと、推しの現状があまりよろしくなく気がかりだったことも重なり、すぐに最悪の結末を想定した。
結果的にその想定は当たっていたのだが、推しの死を私が知るのは、そこから4日ほど後のことになる。
というのも、私は昨年、指導教官によるいわゆるアカハラに敗北してメンタルを病み、休学中。
研究も別の場所を拠点に行っており、今年度はまだ推しに会えていなかった。
そして、私が長らく様子を見に行けていない期間に推しは亡くなり、二度と会えなくなってしまった。
推しの死が公表されてすぐ、私はFacebookに
ありがとう、どうか安らかに
という旨の投稿をした。しかし、胸のモヤモヤが消えぬまま、現在まで残っている。
なお、関係ないかもしれないが、この期間に受けた資格試験は笑えるほど集中できなかった。
今も精神的にダルおもく、空気をうまく読めず、頭がバカになり、バカな発言をしてリアル知人に困った顔をさせては謝り倒すという所業をやらかしている。
2.推しと死
推しが死ぬことは別にはじめてではない。2次元の推しはどのアニメや漫画でもすぐに死ぬし、ニチアサでは大概、敵を好きになるので、推しの死は免れない。
リアルな次元の人間だと、私はハリーポッターのスネイプ先生とその俳優さんであるアランリックマンが好きだが、少し前にアランは他界されている。
この時は世界が灰色に見えるほどショックであったが、そもそも生きていても会える訳ではない憧れの、幻の人物だったので、わりとすぐに回復した。
ちなみにスネイプ先生については皆さんご存知のとおり。スネイプ先生に関しては、死なないルートの二次創作、いわゆる夢小説に大変助けられて生きてきた。
肉親が亡くなったときでも、とても悲しいが、死んでしまったものは仕方がない。不謹慎だと言われそうな思考回路のため、ズルズル引きずったことがなかった。自分のことをわりと切り替えは早い方だとおもっていた。
そう、今回までは。
3.推しとの出会いで変わったこと
推しは私の人生のターニングポイントにいたのだとおもう。
色々あって、今までとは違う研究分野に足を踏み入れることになった私にとって、一から学ぶために、生きた教材になってくれたのが推しだった。
身バレしたくないので、明言は避けるが、推しの死を悲しんでいる人はけっこうな数いる。推しはその分野では大変な功績を残した。
いま、ちょっと変わった研究と仕事をしているが、これも推しとの出会いがあったからに他ならない。推しは、私の人生のターニングポイントにそっと立って、私を、現在歩いているこの道へ、背中を蹴り飛ばして導いた。
蹴り飛ばして、という表現は推しの私の中でのキャラ付けである。
人間ではない推しではあるが、その行動は、まるで人間のようだった。
天気の良い昼下がりには、船を漕ぎながらうたた寝し(私もつられて寝た←)、異性に会う前には身綺麗にし、ご飯の時は夢中で泥だらけになっている。
そんな推しの姿を眺めるのがすきだった。そういう風に見てしまっていた。本当は、擬人化して見てはいけないのだと何度も怒られたが、見えるもんは仕方ないじゃんって。
確実に私の心のなかにどっしりと居座った推しは、これからも私が、今の道を進む限り、心のなかで生き続けていくだろう。
4.さいごに
推しの死が私のネガティブスイッチをポチっと押した。
資格試験のプレッシャー、クレカの明細、預金残高、将来について等々…なんだかなんでもかんでも不安になり、私の脳は混乱し、メンタルはご臨終し、不安なことばかりを発言し、知人を困らせるに至った。ごめんよ、友よ。
そんな中、たまたま平日に仕事の代休がもらえることになった。
その日は、最近の最推し(3次元、俳優さん、イケメン)のイベントが東京で開催される日だった。仕事があるからと諦めていたのに、まさかのタイミング。普段だったら絶対にいかないのに、衝動的に夜光バスのチケットを取り、東京へ向かった。
生きている推しに会え、お話をし、イベントはおわった。
あんなに、どんよりしてた心は踊り、元気になっていた。
ただ、いつもは私も推しも満面の笑顔なツーショットが、二人ともどこか悲しそうな顔をしていた。
推しは、相手の感情を無意識に汲んでしまうタイプだと私は勝手に感じており、そこも推せるのところである(その分、疲れそうなので無理はしないで欲しいと勝手に心配している。)。
生きてる最推しの推せる話は余談なので、さておき、
推しが死んで落ち込んでいた私は、生きている推しのお陰でげんきになった。
推せるものを複数つくっておくって重要だなって初めて実感した。
あと、リアルに推しが死んだ時ってこんなにダメージあるんだなぁって思った。私には、私の人生の半分以上の長期間、推してる歳上の推しが4人いる。この人達がもし亡くなったらと思ったら素直に怖い。
(まだ、引退して、この世のどこかにはいるんだろうなーって方がマシなのかもしれない…)
最推しのイベントが終わり、落ち着いた現在、
また推しの死が悲しくなってきたけど、
今日も明日も私は、推しに囲まれてメンタル楽しく暮らしていくと思う。
そうして、星になった推しは、永遠に私のなかで生き続ける。
いつか私が死んだら、一緒にまた、あの風景を眺めたい。風を雲を夕焼けを朝日を一緒に感じたあの日でまた会えることを願って。
ありがとう。また会う日まで、つかの間のさよならです。
どうか、そちらで、楽しく毎日を送ってくれていることを切に祈ります。
私に推せる機会をくれて、ありがとう。