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ブライトン・グロサーズ 第4話

「カップルの距離感」

ブライトン・グロサーズの週末は、平日とは違った雰囲気になる。夕方になると駐車場が車で埋まり、カートを押した家族連れや、まとめ買いをする人たちで賑わう。その中で、僕が特に気になる存在がいる。毎週末になるとやって来る、あのカップルだ。

彼らが店内に現れると、僕はつい目で追ってしまう。二人とも大学生くらいだろうか。男の方はスポーツ系らしい引き締まった体つきで、さっぱりした短髪が印象的だ。一方、女の方は肩までの髪をゆるくまとめた控えめな雰囲気の人で、どちらかというと静かなタイプに見える。

彼らが来店すると、まずは入口付近でカートを手に取る。それから店内を歩き回りながら、食材をぽつぽつとカートに入れていく。その光景だけ見れば、普通のカップルだ。でも、僕には何か引っかかるものがあった。二人の間に流れる「距離感」が、どうにも気になってしまうのだ。

レジに並ぶときも、二人は隣り合ってはいるけれど、会話はほとんどない。男の方がスマホをいじりながら無言で立ち、女の方はカートを押しながら、黙ってカゴの中身を確認している。時折、どちらかが何か言葉を交わすときも、まるで「確認事項」を伝え合うだけのような短いやり取りだ。

最初に二人を見たとき、僕は彼らが喧嘩中なのかと思った。でも、次の週もそのまた次の週も、彼らの様子は変わらなかった。ただ並んで歩いて、必要最低限の言葉だけを交わす。それでも、二人が離れることはなく、毎週欠かさず一緒にやって来る。

彼らの様子を観察しながら、僕は不思議な感覚に包まれていた。二人の間にある「無言」が、どこか居心地の悪いものに見えるときもあれば、逆に落ち着いた「空気の共有」のように感じられることもある。それがどちらなのか、僕には判断がつかなかった。

ある週のこと、彼らがいつものように買い物を終えてレジにやって来た。僕がスキャンをしている間、男の方がふと彼女に向かって言った。
「これ、いる?」
彼はカゴの中に入っていた缶コーヒーを手に取り、軽い調子で聞いた。それを受けて彼女は「あ、うん」と短く答える。そのやり取りはあまりにも何気ないものだったけれど、僕にはその瞬間、二人の間にわずかな柔らかさが流れたように思えた。

彼らが帰っていく姿を見送りながら、僕は少しだけ安心した気持ちになった。喧嘩をしているわけではないのだろう。たぶん、あれが二人の「普通」なのだ。

僕はふと、自分自身のことを考えた。もし僕に恋人がいたら、どんな関係を築くのだろう。楽しい会話で盛り上がる関係だろうか。それとも、このカップルのように静かで、言葉を多く必要としない関係だろうか。

夏休みの間、アルバイトをする僕にとって、彼らはただのお客さんに過ぎない。でも、二人の間にある微妙な空気感は、僕にとって小さな謎であり、その謎を観察するのは密かな楽しみでもあった。

その後も、カップルは毎週末にやって来た。あるときは、彼らの距離が以前より少し近く感じられる日もあった。例えば、彼女が小さな声で何か話しかけ、それに彼が「そうだな」と笑って答えるような場面。あるいは、二人が一緒に同じ棚の商品を指差して何かを決めている姿。

僕がブライトン・グロサーズでのアルバイトを続ける中で、彼らの変化はとても小さなものだった。それでも、二人の姿を見ながら僕は思う。人と人との関係は、一見すると動きがないように見えても、きっと少しずつ変わっていくのだろう。

夕方の店内に響くレジの音や、フロアに流れるポップな音楽。その中で、二人がレジを通り抜けていく姿は、僕にとってこの夏を象徴する風景の一部になっていた。

そして、彼らがまた来店するのを待ちながら、僕は心の中で小さな賭けをしていた。「次に会うとき、二人はどんな距離で歩いているだろう」と。

(5話へつづく)

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