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鈴虫

鈴虫って、飼ったことありますか。
少し大きめの水槽(H30cm・W40cm・D20cm位)に、よく消毒した土を15cmぐらい入れて、適当に湿らせます。
そこに、キュウリやナスを竹串にさして、土に刺しますが、野菜は土に触れないようにします。

途中の過程は省きますが、毎年飼っていると、水槽の中にこれでもかというくらい大発生するときが有りますが、この時にあまりに密だと共食いをしてしまいますので、適当に分けてください。
十分な空間を確保してあげると、澄んだ鳴き声を聞かせてくれます。

鳴き声と書きましたが、実際は羽根を垂直に立て、羽根同士をこすり合わせて音を出しています。鳴き方の上手い下手は当然ありますが、何年も飼い続けていると、どうしても個体としては不完全なものが出てきて、鳴き方自体が情けないものになってきます。
でも、そうした個体でも、草むらに放してあげると、驚くほど良い声で鳴き始めます。こうしたことを経験すると、飼うという行為は残酷な環境で生かしていると思ってしまいます。

また、一度の沢山の鈴虫が鳴くと、これはもう大合唱の域を超えて、騒音になります。しかも、鈴虫の鳴くサイクルはかなり一定なので、もし数十匹の鳴くサイクルが合ってしまうと、リ~ンリ~ンという可憐なものではなく、ジャーン・ジャーンという物凄い音となって水槽から部屋中に響きわたることになります。

最盛期には、これを一晩中聞かされことになりますので、飼っている当の本人以外は、寝不足に悩まされることになります。

もう一つ、ナスやキュウリが餌と書きましたが、少し手入れを怠ると、このエサが古くなってきます。これは生ごみと同じ状態になりますから、飼い主に対して憤りを感じることになってします。

こうなってくると、情緒も何もありません。
やはり、生き物を飼うという行為は、整理と清潔さと周囲への配慮を十分にできる人でなくてならないことに気づくはずです。

まぁ、我が家のそういった問題を引き起こす兄の存在は、今となっては、迷惑であったことも確かではありますが、このような得難い体験を目の前でできたことが、社会に出ると反面教師となってフィードバックされましたので、まあ半ば良しとしましょう。

ぐずぐず書いてしまいました。
今では、自然の世界で鈴虫を聞く機会は、ほぼ皆無です。
むしろ、草むらで低音でなく邯鄲(カンタン)のえも言えぬ優しいな小声を聞く機会が多くなってきています。
虫の世界でも、勢力図が変わってきているのかもしれません。

邯鄲やコオロギの話はまた別の機会に。

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