御巣鷹山
39年前のあの日航ジャンボの墜落事故は、私にとっても忘れない日になりました。
それは、岩槻のある得意先の工場に納品に行った帰りの出来事です。
私の部下がライトバンを運転して、ラジオをかけながら私に話しかけてきたそうなんですが、私はと言えば、その時、まったく声掛けに反応しなかったそうなんですね。
小一時間ほどして、私が普通に話し出したら、部下がこう言いました。
「主任、今いったいどうしてたんですか。目はしっかりと開いているのに、話しかけても全く反応しないし、ただ、『飛行機が・・・どうの・・・こうの』とブツブツつぶやくばかりで。ちょっと薄気味悪かったです。」
その直後、ラジオから日航ジャンボ機が行方不明といったニュースが流れてきたのです。部下は、私の漏らした「飛行機」という言葉に反応して、この飛行機の異変を私が感じ取っていたのではないかと、少しばかりオカルティックな言葉をかけてきました。
私自身もそんな能力が有るのかないのか今もって不明ではありますが、あの時は確かに異変を感じ取って、そちらに意識をすべて持っていかれてしまい、現実世界と乖離していたことは間違いありません。
私は、過去にも飛行機の墜落を予想したことが有って、それはおそらく偶然だろうと無理やり思うことにした時期が有りました。
それは、富士山太郎坊の上空で、BOAC(=英国海外航空今は存在しない会社)のボーイング707が空中分解(3月5日)した件で、その日の昼近くに学校の休み時間、たまたま米軍のKC-135(ボーイング707の軍用機型)が校舎の上を通過した際、「それと同じ型の飛行機が、落ちるよ。」と何気なく呟きました。
そばにいた数学の教諭が、「そんな事、口走るもんじゃありません。」と、たしなめられましたが、まさにその時刻にこの事故は起きていたのです。
この月は、「あぁ、やっちゃった」と無線で言ってきた日航の逆噴射(2月9日)やCPAL(カナダ太平洋航空)の羽田墜落(3月4日)と、立て続けに飛行機事故が起きていたのです。