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「たとえ話」はあくまで「たとえ話」にしないとね!
※この記事は2020/10/22に「例え」を「たとえ」に書き換えました。
物事を伝達する際に、なるべくわかりやすく伝えようと「たとえ話」をすることが、あります。この「たとえる」という行為において気をつけないといけないことがあります。それは「たとえすぎないこと」です。
なぜ「たとえる」のか
会話や説明をするときになぜ例えるのでしょうか?それはしっかり理解してもらおうとするからです。知らないことというものは抽象度の高いものです。その抽象度の高いものを、より具体的にしていくために「たとえ」が必要になります。「たとえ」の方向としては相手の文脈(コンテキスト)にあった状態、相手のフィールド、相手が使う言葉において寄せていくことです。
「三振してもいいから見逃してはいけない」という言葉は、野球好きな人とサッカー好きな人では感じ方は大きく異なるでしょう。
たとえて伝えることは、相手のエリアに入って同じ目線で話をすることになります。しかし、落とし穴がここにあります。
たとえすぎちゃだめ
「たとえ」がうまくいくとしゃべっている側はとても気持ちよくなります。伝わったかどうかではなく、「上手いこと言った」という感覚にどうしてもなってしまいます。なぜならうまく「たとえ」ができると相手から「あーわかりやすい」とかいう賛辞をもらうからです。
ついつい調子に乗ってしまいますが、乗ってしまうとたとえすぎになってしまいます。本来伝えていくことが目的にあるにも関わらずたとえることが目的になってしまい、そのたとえた方向で会話が発展してしまい、「あれ?そもそものところは理解されていない?」ってこともあります。厄介なのが、どうしても気持ちがいいため、この「あれ?」に気がつかない可能性があるということです。
気がつけば、軌道修正をすることはできますが、気がつかないと永遠にその方向で話をしてしまい、結果お互い満足というよくわからない着地点に向かってしまいます。
理解を促すためには「たとえ」は必要ですが、くれぐれもたとえすぎには注意しましょう。
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