求められる情報発信は、「正直に、丁寧に」
情報を発信するということについて今の自分が思うことを書いてみます。情報を発信するということは大きく二つあると思います。僕が考えるのは以下の2つです。
1:発信したい情報を発信するということ
2:得たいと思われている情報を発信すること
今回は2のほうについて、今の考えを記載します。
「得たいと思われている情報を発信すること」
もし、これが行われない場合、「ほしいものがない」という状況と同じですよね。これは、店で「ほしいものがない」という状況にあった場合、そこにあなたは引き続き買い物に行きますか?行かないと思います。ここで失われるものは、、そう信用・信頼です。もちろん、程度の差はありますが、「ほしいものがない」というものは、信用や信頼を失うきっかけを作ってしまいます。
さぁここで、話を情報の発信に戻します。「得たいとされている情報が発信されない」となると、発信元は信用や信頼を失いはじめ、いずれは見向きもされなくなります。これは非常に危険なことです。情報というのは、受信側の希望に合わせて公開があるべきです。
さらに言えば、発信の完成度は大きな問題ではありません。発信の粒度が重要です。言い方を変えれば、「正直に、丁寧に」です。重ねて言いますが、完成度は大きな問題ではありません。
この発信をするしないは、大きな分岐点にもなります。具体的には、
A:安心を与える、信頼を与える
B:安心を損なう、信頼を損なう
この分岐はその後に大きく広がっていきます。たったひとつの分岐点からいずれ大きな差が生まれ、結果・・・わかりますかね?
「得たいと思われている情報」というのはそういうものであり、発信というものを真剣に考える必要があります。特に1の話ではありませんが、今や発信したい情報というのものは、簡単に発信ができます。このnoteだってそうです。僕自身が発信したい内容が簡単に発信できる時代です。そんな時代において、「得たいと思われている情報」に対して妙な完成度を求めてリリースが遅れるのは、ものによっては致命的なことになりうるということを認識すべきでしょう。
コミュニケーションはアナログなんだ
「この情報は不完全だ」「この情報は今調整中だ」ということも含めることは悪くはない。情報の伝達は「0、1」ではありません。コミュニケーションはすべてアナログです。デジタルなツールがあるだけです。時間軸があって当然。前後があって当然。「得たいと思われている情報」というのはつまりそういうこともひっくるめて・・・となっている時代なのです。とにかく、「正直に、丁寧に」です。