言語化だけじゃダメだと気づいた
頭の中にあることをどれだけ言語化できるか
というのはすごく大事なことですし、
以前読んだ三浦さんの本でも
その大切さを学びました。
自分の中でもこの言語化する力というものの
大切さを感じながら、
そしてそれを素早くできるようになるため、
というのもあり、こうやってnoteの更新を
日々行っているわけです。
そんな中ですが、
今回のタイトルにあるように
言語化だけじゃダメなんだと
感じる出来事がありました。
結論から言うと
言語化だけじゃダメで、
言語化したものをドキュメント化、
つまり文字化しないと意味がないという
すごく当たり前のことです。
こんなことがありました。
あるフワッとした依頼を受けたんです。
そんな中自分の癖になってる言語化
そして、それを文字にして
さらに文字にしながら、まとめてみる
みたいな作業をして
自分なりの考えを文字にしてみたのです。
カッコよく言えば、
ドキュメントとしてアウトプットしたんですね。
それを提出してみたら
いろんな反応がありました。
しかし、その反応は面白いもので
これまで曖昧でそのときの会話で
どうやら納得していたものが
文章としてやってきたのです。
すごくなるほどなぁとその内容には
納得するのですが、
同時に、
「ほなら、初めからこうやって共有しとけや」
と口悪くなってしまうほどの衝撃だったのです。
おそらく、僕のドキュメント化されたアウトプットが
きっかけだったのでしょうが、
これまで頭の中にあったものが
良し悪しは別にして表に出たことで
言語化されたものが見えたことになります。
見える化と言ってしまえば、
それまでですが、
言語化の見える化の重要性を
改めて感じたのでした。
結果から言うと
僕が少しずれてたみたいですが、
でも、「俺は」「私は」として言語化されたドキュメントが
行ったり来たりするのは
とても良い傾向だと思いました。
しかし、もう一度いいますが、
「早めにやっとけや!」という気持ちは晴れません。笑
阿吽の呼吸とか
空気を読むとか
目は口ほどに物を言う
とか。んなことあるかい!が
コミュニケーションです。
頭の中で言語化していても
紙に書けないってことは多々あります。
それは実は言語化できいない証拠なんじゃないか
そんな気持ちになります。
言語化を証明するためには
アウトプットがどこまでも、必要なんだなと
感じました。