集落が生むかもしれない格差
インターネットが普及して距離感というかそういうものが無くなったとよくいいます。地方にいても都会の仕事ができる環境になりました。そして、地方にいても中央の情報を得ることはしやすくなりました。
確かにそれはあります。今僕は福岡に住んでいますが、東京であったイベントの内容だったりは簡単にレポートで読めたりします。
ん?でも待てよ。イベントには当然行ってないのです。正確には行けてないのです。レポートを読んでその気になっていますが、所詮レポート。やはりそこにはリアルがありません。
先日も東京でとあるイベントがあり、その場でしか販売されていない本があったようでした。もちろんインターネットの時代ですから、イベント自体は配信もされ、レポートもありますし、本は一部ネットで売られていますが、なんかやはり「距離感」を感じてしまうのです。
ネットが市民権を得て、僕をはじめ一億総発信者な時代。いわば「個の時代」呼ばれていますが、そろそろ現れてきてるのが「集落の時代」だそうです。この集落感が、もしかするとネガティブな地方感を生む可能性があるような気がします。
情報格差まではいかないかもしれませんが、この集落というものを美しく仕立てないと、少し空気が良くない方向になるかもしれません。
これからどうなるのかはさておき、とりあえず今の段階ではネットで繋がる社会になったからこそ、余計に「距離感」を感じます。この距離感をどう「集落の時代」に解消してくのか、距離感が差別化になっていくのか距離感がないことが差別化を生んでいくのか。
もともとは妬みやそねみの感情から生まれた今日の記事でしたが、少し時代の流れに強引に思考を持っていくことで楽しみな議題となりそうな予感がしてきました。
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