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玄人たる所以を探さないとならない


今の時代、はっきり言ってそこそこなものは作れるようになっています。素人と玄人の間にある距離感が以前のそれと変わってきています。

この辺りは少しまたゆっくり考えたいのですが、今日は日曜の夜ということもあり、いつもよりもさらにまとまりのないままに書きます。

先日とあるライブ配信がありました。セミナーですね。この類の仕事は実際にいくつかやらせてもらっているのですが、玄人ならではの、、、という部分を僕らは演出という軸でしばらく考えてきていました。

配信されていたセミナーは、いわゆるプロがサポートしたものではなく「自分たちでやる」なものでした。

当然結果としては、演出はイマイチだ無駄わけです。しかし、セミナーというコンテンツとしては別に失敗でもなんでもない。

そんな時にふと思うのです。

ぼくらが、玄人たる所以をどこにおくかが課題だ

と。そして、そこに価値をこさえないとならぬ。と。

玄人が圧倒的な位置に鎮座してた時代はもう過去のものです。ここで一度玄人たる所以を整理しなければ、玄人という名前の都合の良い手足になってしまう恐れがあるように思います。

さらに意識をしておかなければ、都合の良い手足だと気付くこともなく、求められているという意味の幅が広い状態での満足が生まれそうです。

具体的な答えはまだですが、早めにこの玄人たる所以を探しておきたいと思います。

誰か議論しませんか??

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!