「おかげさん」根性の参拝
こんなキャラですが、
少し信心深いところがあるということで
年度の区切りである今日、先ほど参拝をしてきました。
どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。よかったらスキやフォロー、そしてポッドキャストとかも聞いてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします。🙇♂️
さて、参拝です。
みなさん参拝に対してどのようなイメージをもたれていますか?
僕は、
年始や年度頭というひとつの区切りとして考えれるタイミングでは
近年は必ずと言っていいほどお参りをしています。
ということで、4月1日の今日も行ってきたわけです。
会社なんで、組織で参拝するということもあるわけです。
今年はこのご時世ということもあり、組織だって参拝するということが人数が限定され、僕はそのメンバーに含まれなかったため、
一般的には朝から行く必要はないのですが、お参りしてきました。
別に「神頼み」が名目ではありません。
どちらかというと「お礼参り」です。
1年間なんとかうまく仕事ができた。
今年度も頑張るんでよろしくお願いします。
という「おかげさん」根性の参拝です。
心の底には、「神様に媚びてみる」という下心もあると思いますが、それは内緒です。 #見透かされてることは知ってる
以前今年の頭にも参拝したことに関して記事を書いていますね。
今回は特に、僕自身が職場が物理的に移動することもあり、
その職場近辺には別の神社があるのです。
そこにも参拝しないと・・なんですが、
今朝そのことも神様にお伝えしておきました。
「あ・・・あの・・・べ・・別に八方美人ってことじゃないので」
って感じで笑
少し話はそれましたが、いつの頃からか僕にとっての参拝は、
未来に対するお願いから、過去に対する御礼に変わってきました。
区切りというのは、句読点で言う「。」をつける行為です。
「。」をつけるのは過去に対して「。」をつけます。
つまり区切りというものは「過去を作る行為」です。
区切りで生まれた「過去」をきれいなものにするために
参拝というものがあるのではないかとも思ったりしています。
僕らは都合のいい生き物で、
都合のいい時だけの神頼みをしてしまいます。
でももし、
それを神様とのコミュニケーションとして考えるならば、
それはなかなかうまくいかないコミュニケーションだと思いませんか?
まずは、「ありがとうございました。」
・・で、「頑張るんで見といてください。」
が僕の参拝です。