230529

やべー、社会運動の人たちと喋ってるのが今いちばん楽しいかも。
喋りたいことや考えたいことが次々浮かんでくる。そして思ったけど、私美術にそんな興味なかったんかも。展示見て感想出てこないことも多くて、その事に引け目感じていたけど、「美術」自体に単純にそんな興味無かったのか…というか、それより先に「社会」の事知らなきゃどうにもなんないでしょ、それが分かってからじゃないと美術のこと考える余裕はない…

社会運動も、結局は中産階級以上でエリート層(大卒以上で貧困でない人たち)が多くはあるけど、その事に自覚的でモヤモヤしている人が多い。

自分は大きな企業に勤めているけど、その事に後ろめたさはあまり無くて、矛盾も感じていない。収入や社会的地位に余裕があるから、運動に資本を割けるという面もある。資本の再分配!乱暴な開き直りかな。でもマジョリティであることは罪ではないから。そのへん、皆さんの気持ちの置き所を聞きたい。
権威主義に抗いたい気持ちはあるから、どうなん?と思わなくもないけど、あまり潔癖になっても疲れちゃうし。大きい組織に所属しないことが、権威主義に争うことではない。むしろ所属することで内側から組織を変えることもできるし、
組織の中で、えぐい同調圧力に抵抗するのがどれだけ難しいか、とか、大きい力に流されていく個人の気持ちが分かる、というのは重要な事だと思う。その中でどんな風に意思決定が行われるか、とか、組織の権力者はどのように決まるか、とか、どのような価値基準で組織人が動くのか、とかね。
それが分からないと、政治家や権力者を簡単に悪魔化して、糾弾するだけになっちゃうから。倒すべき相手の行動原理を理解するのは勝つ近道や。

会社で話されてる言葉が全部 嘘っぽくて軽くて耐えられない、と言ってた人も居た。分かるけど、でもそれくらいの人権意識と自分の階級に無自覚なマジョリティたちがこの社会の大半を占めてるってこと、肌身で感じておくのは大事と思う。そう考えると、組織に所属するキツさもマシにならんか?という提案。

美術業界に比べて、いる人の種類が多いように感じる。なので嫌な馴れ合い感がなく、程よい距離感がいやすい。(今のところだけど。運動界隈でもハラスメントやマッチョな争いはあると聞く。)
何かしらに抗いたい人たちがゆるやかに繋がって、離れたりくっついたりしながらいろんなイシューにまたがって活動を続けているのが不思議。美術はもうちょい近いし、大学も4〜5校から寄せ集まって、発表の機会を探し回ってる、て感じ。

あと思うのは、わたしはデモ参加した事なくて、今後もそんなに興味がない。「抗議活動」的な運動よりも、当事者たちの繋がりをつくる「場作り」の活動に興味がある。お喋りしたり、必要な居場所があることで救われる、て事。