230513(土)

昨日、有給をとって葉山へ。先生に写真を見てもらいに。
しょくちゃんとバスで合流した瞬間、なんとなく予感していたけど、元気がなさそうだと分かった。今から2人で過ごす間に、どんな言葉をかけるべきか、何を聞いてあげるべきか、という緊張感が生まれる。ちょっと話してすぐに「5月は鬱っぽくなるって前言ってなかった?」と言われて、「わたしは2月頃かな〜、え今きてるの?」と言って、元気がなく鬱の兆候があることを共有してくれた。励ますでもなく、自分は忙しい方がマシ、とか最近の仕事の感じとかをざっくばらんに話した。
先生宅到着。写真見てもらうの久しぶりで緊張した。先生、少し疲れていたのかちょっと空気が硬かったけど、徐々にほぐれて行って、3時間ほどゆっくりお喋りした。
最近の自分の感じと、先生が良いと思うものがずれてきているのは自覚しているけど、「まあ、相変わらず悪くないんじゃない、いいと思うけど、もっといいのが見たいね。」という感じだった。仕事っぽい写真も持って行って、「最近はこうやっていろんな場に行って撮影して、写真を通して人と関わる事が楽しいんです」と近況報告をした。先生はあんまピンときてなさそうだった。
しょくちゃんの写真、凄みが出ていて、良かった。ちょっと前に見た時からさらに、どんどん良くなっている・・・!
自分の最近の写真の気分を再確認できて、大学の時から変わったこと、失った感覚、みたいなものもあったと気づいた。先生が言うところの「素直な」感じ。
あの時間の中で少しだけそのモード取り戻せた気がして、良かった。
新作の額装、プリントを台紙に1点で貼り付けるラフな仕様に決めていた。平面であること、プリントであること、イメージであること、、、、色んな見方ができる、しっくりくる、いい見せ方だと思った。いろんな額装作りまくった先生だからたどり着けるのだと思うけど、自分もああ言う見せ方はアリだし、素朴なようでいて挑戦的で抗っている、洗練された展示方法に思えた。
「作為の無い」事も大事で、作家がどう見せようとしているかの意図が前に出るとよくない、写真そのものを見るべき、と言う感じだった。納得。
海が遠くに見えて、穏やかで臆病だけど人懐っこい犬がいて、素敵な植物やインテリア、食器がぎゅうぎゅうに詰まった素敵な家。時空間が歪んだ別世界に居る気持ち。
素敵だし尊敬するけど、この人とは見えている社会が全然ちげんだよなあ、とも思う。自分の関心ごとを話しても伝わらないだろうし、それを共有したいとも思わない。「君たちと出会えてよかった」と笑いながら言うから「それは私たちの方が思ってますよ」と言った。
16時ごろ家を出て、海岸へ。人が少なくて水が澄んでいて、気持ちがよかった。サンダルで行ったので膝まで海に入った。
しょくちゃんが砂浜にペタンと座って、大の字で横になったのを見て真似したら、びっくりするほど良くて、その瞬間に何かのスイッチが切れた(はいった?)。
波の音や日差しの感じ方が、縦の時と全然変わる。その海が急に親しく感じられた。こんなの知らなかった。てかそもそも外で横になる機会って少ないよね。気持ちが良かった。無言で石や貝殻を集めたり、ブラブラ歩いたり、写真をとったりしばらくして、バスに乗って戻る。その最中に急にお腹が空いて低血糖状態、頭が回らなくて不安になり、急いでマックでごはんバーガーとポテトM食べる。
電車で横に座りながら近況を聞いたり話したり。夫への怒りや変わらないことの無力感、憤りなどかなり高まってそうだったけど、簡単に別れなよとか言えないし、色々試行錯誤してるからアドバイスなんて出来ないし、何を言えばいいのかわからなかった。もっと直接的に、思ったことを、「えらいよ、頑張ってるよ、かっこいいよ、あんたすごいよ、」と言ったらよかっただろうか、とか今になって少し思う。産後の親独特の、自信のなさ を感じたかも。

なんだかとても疲れてしまって、22時にはベッドにはいった。
寝てるし食べてるしそこまで大忙しでは無いと自分では思っているけど…どうだろう。雑誌の撮影の仕事、おもろいけどプレッシャーあり緊張している。。。