230708
怠惰な土曜日を過ごしたように見せかけて、色々片付けられた日だった。
・航空券予約
・写真集発送
・ヘアクリップ注文
・銀行で引き落とし、振り込み
・催促の連絡
ラジオ聴きながらゼルダしたら、やっと回復して、なんかしたいな〜という元気が出てきた。
8月のイベントと、来週までに完成させなきゃ行けないzineと、南米行き、あと仕事もそこそこ忙しいくて、気持ちが慌ただしいなあ。
愛知でみた展示が良かったので忘れないうちに感想書いておこう。
一つ目の部屋、流れているゾンビ映画と、それを投影された生活感のある部屋。見つめる視線の先は同じなのに、ピントをずらすような、目だけのスイッチをして、それに連動して脳もハッとする、という運動。
なるほど、でもゾンビ映画のグロさが強烈でちょっと不快気味…と思いながら次の部屋へ移動。
パッと明るく、広くなる。
大きな壁にランダムに映し出される、スナップのような、さりげない映像たち。
天井から吊るされている、A4のコピー用紙がだらんと脱力して、それにふた方向からプロジェクターの光が当たって、とても綺麗に映像を発色していた。
そのコピー用紙が風に吹かれてゆらゆらしていたか、静止していたか、思い出せない。フワフワ揺れている印象が残っている。四角く切り取られた窓をよく見ようと近づくと、プロジェクターの前を横切ってしまい、壁に大きく自分の影が写る。うわあ、と少し驚く。その像の有機的な動き、壁に写されている植物が風で揺れる動き、コピー用紙が揺らめく動き、知覚のレイヤーが多い!!!
壁にはコピー用紙に出力された写真も貼ってあった。それを見ようと壁に近づくと、今度はプロジェクターの映像の粒子が見えた。と思うと、近くにいた鑑賞者の影が目の端で動く。なんと・・・情報量の多い・・・作品と、自分の身体の動きや他者の像が、ここまで強制的に混じり合って意識させられるの、もうアトラクションじゃん!と思った。エンタメからは遠い、めちゃめちゃ美術だけど。
上手いな〜!と思った。展示が巧い。
最初の部屋のパフォーマンスより、よっぽど経験として作品を感じさせられた。とても知的な経験、でも「日常の捉え直し」というテーマにも一番フィットした形で。すごい。。。模範解答のような作品だった。
映像を発色した光るコピー用紙が本当に綺麗で、印象に残っている。白い壁で囲まれた無機質な空間のはずなのに、風が吹いてるみたいな、有機的な部屋で、楽しかった。
その日は無料鑑賞日というのもあり、普段美術館にそんなに行かないような人たちが多くいて、「全然わからなかった〜」「芸術家さんの考えてる事だもんね〜」とか、リアルな声を沢山聞けてそれも面白かった。わからなくて当然だ。
わからないものって怖い、でも美術館は危険ではないと分かっている、から、戸惑いが残る、その時に、出せる言葉や、何を思ったら良いのか、の引き出しが無い、て感じかなあ。
でも自分は展示見るの結構楽しいなー。最近特に。たくさん観る中で、自分なりの見方や言葉を見つけることが出来てきているし、相対的に見れるようになっている。でも「出来るようになっていることの面白さ」で楽しんでたら、排他的になるよね、当然。美術のそういうところは良くない、距離置きたい。
捉え所がなくて、曖昧で、明快な目的や、すぐ役に立つものではないからこその、豊かさや、面白さがあるんだと思う。
そういうものを面白がり続けられたら、純粋で、素敵かもしれないけど、自分はそこまでピュアになれない。
人権とか、差別とか、目の前にある切実な急務を無視して、そういうピュアさを突き通すのって、むしろグロテスクだと思うから。
目が綺麗な少年ぶってないで自分の加害性を見つめてみては?と、冷ややかにおもってしまう。そこに向き合う痛みとか、怒りとか、を面白く捉え直すことって、とてもクリエイティブだとは思いませんか。
そーいうことやってきたい!