あやちょの事待ってた

ももちというアイドルの型が一番かっこいいと思ってた。

ももちは、強固な”アイドル像”が自身の中にあって、それを貫き通した。アイドルらしいとされている服装 髪型 仕草で、歌も踊りも完璧にこなして、テレビ番組でも笑顔を絶やさずいっつもかわいかった。弱音や、世間や組織への怒りも憤り、将来への悩み、ネガティブなものを見せようとしなかった。
アイドルは夢を与える素敵な存在、つまり偶像である事を守り切るその姿は、ある意味人間味が無いようにも見えた。(不器用でくそ真面目な所は透けて見えていたしオタクはそこが大好きだったのだが。)

ももち卒業以来、アイドルに心動かされる事なく過ごしていたある日、ネットであやちょのインタビューを読む機会があった。
卒業前ラストシングルのPVで、衣装がウェディングドレスだと分かった瞬間ブチ切れて泣きながら抗議したらしい。「女の幸せなゴールは結婚だけではない」って色んなメディアで発言していたのに、最後にそんな仕打ちを受けて激怒したとの事。
暫く見ない間に、あやちょが自分の頭で考えて行動して発言するアイドルになっている....!とすごく驚いた。(それまでは”仏像好きキャラ”みたいな感じでやってんな〜くらいに思っていた。つまりめっちゃ軽んじていた。)

あやちょは日本の伝統的なアイドル集団のリーダーでいながら、アイドルという枠を飛び出して、社会の中でのアイドルの在り方を俯瞰して考えていたのだ!!
アイドルについての、女性蔑視や、その視線を持つ人の自覚の無さ(ファン/演者どちらも)、少女の消費、それで儲かる大人の構図、など、いろんな事を問題視して、ちゃんと怒っていた。すごい!!!!!それを、社会に向けてアイドル自身が発信するって新しすぎるし、その意義は本当に本当に本当に大きい。その勇気もものすごいと思う。

私なんて、身近な異性(恋人、よく遊ぶ友達)との会話にフェミニズムの話題を出すだけでも本当にビビってしまう。
この間、献血ポスターの件を恐る恐る話題に出してみたけど、会話の途中で悲しすぎて何も言えなくなってしまった。別に彼は差別主義者ではないしフラットに話してくれるけど、この手の話になると、どうしても女が男を説得して理解してもらう、と言う構図になる。
マジョリティ側は、マイノリティへの差別の構造や問題について知らなくたって何も困らないし、むしろ知らない方が、それまでの価値観を再構築しなくて良いので楽だろう。でもマイノリティにしてみれば死活問題だ。これまで加害されてきた事を、無意識に我慢したり諦めていたと気付いて、気付いてしまったら、怒りと絶望の繰り返しが始まる。ただ差別を批判して平等を求めているだけなのに、感情的に喚いてわがままを言っているとみなされる。必死な抗議を嘲笑されたりする。でも主張し続けないと何も変わらない。
そういう構図にある事が悲しくて悔しくて、悔しすぎて泣きながら暴れまわってしまった。

こんな狭いコミュニティでも私は苦しいのに、何万もの人にその問題を提起したあやちょは、どんなに辛かっただろう。どんなに侮蔑的で無自覚なひどい言葉に晒されただろう。どんなに悔しい思いをしただろう。とか考えたら本当に泣けてしまうよ。強すぎる。

「アイドルの解釈を広げたい」と、あえてアイドルの肩書きで活動を続けるという選択もすごく良いよな。従来のアイドルの型を否定せずに、幅を広げるって言う。本当頭いいな。めっちゃ勉強したんだろうな。

あやちょと言うアイドルが存在している事を知ってなぜか、「待ってた」と思った。あやちょの事待ってた。

アイドルという偶像を守り抜く人も、アイドルと言う枠を超えて広げようとする人も、どちらの覚悟もめちゃかっこよくて好きだ。