急性期リハビリその1
一般病棟に移ってからのリハビリ内容について記そうと思う。
病室に居たら療法士さんが病室に急に迎えに来られるようになった。
ベッドから車いすに乗せかえてもらいリハビリ室まで車椅子で連れて行ってもらう。廊下での立ち上がりリハビリと毎日のトイレのために車椅子への乗り移りをこなすことによって、最初の頃より車椅子とベッドへの乗り移りはベッド柵などを使うことで多少体を支えてもらうのと最後ベッドの上に足を上げてもらう程度の介助で乗り移りができるようになってきていた。
リハビリ室は1階にあった。まずはリハビリ室前の手すりのついた廊下でいつものごとく車椅子から手すりを使って立ち上がる、座るの練習をした。急性期病院では車椅子のブレーキは看護師さんや療法士さんがすべてやってっくれていた。そのため特に車椅子の操作についての指導はなかった。手は麻痺側に感覚がないのと、もしかしたら身体失効もあったせいか麻痺側の手を車椅子のタイヤに巻き込みそうになることがしばしあり、麻痺側の手は膝の上に必ず置くということだけ約束させられた。
私は一度車椅子から立ち上がる際に大失敗をしたことがある。おそらくフットレストから足を外してフットレストを折りたたむということを注意されていたはずなのだが、ぼんやりした頭でそこまで注意が行き届かず言われたことをすっかり忘れてしまい足をフットレストにおいたまま立ち上がり車椅子をひっくり返してしまうということをやらかしている。車椅子に破損はなく療法士さんは離れていたため私にも療法士さんにも怪我はなかった。療法士さんは、きつく怒ったりはしなかったが「良い経験をしたね、これから気を付けるんだよ」と一言だけ優しく私に注意した。そのことがあって以来フットレストは必ず非麻痺側の手でたたむことを徹底するようになった。学習能力はそこまで低下してはいなかったので一度失敗したことは2度失敗するというようなことはあまりなかった。
下肢のリハビリは毎回装具を装着してもらい装具をつけた状態で手すりをたよりに歩くことが主だった。手すりを使っての歩行が安定してきたら、サイドケインを使っての歩行にチャレンジすることになった。その次は4点杖だった。ただこれはあくまでもリハビリ室内だけの話でいつもほんの10メートルほどの距離を補助具を使って歩くということが主だった。
上肢のリハビリはベッドの上に寝かされて肩の可動域を増やすためのマッサージだった。麻痺はあるが痛みはなかったためどんどん動かされた。お尻上げ10回3セットも定番だった。
ドーナツ状の真ん中に穴の開いた積み木を左側の棒に麻痺側を使って通していくという練習もしていた。この頃肩が少しずつ動くようになっていたので、上がりづらい腕を必死にあげて「うっ」とか「くっ」とか言いながら積み木を柱に通して積み上げた。
粘土を麻痺側ですりこぎのようなものを持って上から押し付けるなんてこともした。
洗濯ばさみをつまむ練習もした。この洗濯ばさみがかたくてうまくつまめずにあらぬ方向に飛んでいってしまうことがよくあった。こんな練習をしているうちに細かい動作はできないが大きく動かく事はちょっとずつできるようになってきていた。ただ手は軽くグーにはできたが分離運動はまだまだできなかった。麻痺側の左手の握力を測ったら5しかなかった。
5月終り頃、回復の過程が赤丸急上昇と医師が家族に伝えたらしい。この病院でリハビリをしていても限度があるからリハビリ病院に転院しましょうという提案を持ちかけられた。リハビリ病院は2つ提案された。1つはT病院。ここは運転評価もできる病院であるとのこと。もう一つはA病院。ここでは運転評価はできないとのこと。この二つの病院を家族に提案されたが、家族は私が運転再開を希望していることを尊重してくれ、視野の問題があるので難しいかもしれないが、私の元々の性格がやるだけやってみる人だということを尊重しT病院を希望することにした。このT病院は県内の患者がほぼ希望する病院であり入院待ちの患者さんが殺到しているため2週間から1か月は待たないといけないとのことだった。