【妊娠の記録21】動いている七奈ちゃんを見た最後の日
前回記事はこちら。
2024.4.25(28w5d)
この日は、決意して、職場の管理職に話に行った。
仕事をゴールデンウィーク明けから休みたいです。
(5/18からの産休の予定で、私の差すゴールデンウィーク明けとは、5/7のこと)
そして、どうして急にそう思ったのかを話した。心拍が30台でいよいよかなって思ってることを伝えた。無理しないでゆっくりしようと思うと話した。管理職は、
もうここまで頑張ったんだから、今週で終わりにしたら?
もう今週いっぱいで大丈夫だから。
(仕事のことも)心配なことあるかもしれないし、いてくれたら助かるのは本当だけど、それはこちらで何とかなるから、もう休んで。
と言った。のぞんでいたことだったのかどうかはわからないんだけど、そうした方がいいのかなってぼんやり思って、そうすることにした。
この日は、ちょうど健診の日だったので、主治医の先生に診断書を書いてもらうことにした。
2日前にも診てもらっていたけど、診察室でエコーをした。
七奈ちゃんの心拍は、この日も30台/分だった。本当に頑張って動いている心臓だった。
急に休みたいって思ったのはどうして?
と主治医の先生にも聞かれた。
今までは働いている方が、明るくいられて七奈ちゃんにもいい影響かなって思ってたんですけど、さすがに30くらいになってきて、少しゆっくり七奈ちゃんとの時間を大切にしようかと思っていて…
と答えた。
明日まで行くんだよね?仕事…
(この日は木曜で、金曜のがキリがよく都合がよかった)
はい!じゃ、未来の日程で出すことは難しいから、後から診断書作ることもできるので、来週の健診のとき作りましょうか!
という話になった。
(結局、後日談として、1週間後の健診で、子宮内胎児死亡がわかり、そのような診断名もプラスした診断書となった)
そして、この2日後から、私たち家族+義両親+義弟家族で、うちから車で2時間弱くらいの山中湖へ旅行に行くことになっていた。
夫は、七奈ちゃんにも山中湖と富士山を見せてあげたいから、みんなで行きたいと言っていた。
私はどうするか悩んだけど、やっぱり七奈ちゃんと行くのは、もしかしたら最後になるかもしれないって思ったから、やっぱりみんなで行きたいと思った。
夫が主治医の先生に
家族で山中湖に旅行したいのですが、行ってもいいですか?
と尋ねた。先生は、
本当は、行っていいよって言えない立場なんだけどね、すごく行って欲しい!って思います。七奈ちゃんもこんな状況だし、家族との思い出を作って欲しいなって思うから…行ってきてください。
その代わり、絶対何かあったら、必ずうちの病院まで戻って来てくださいね。七奈ちゃんが、他の病院に運ばれたら、取り上げた先生たちみんなビックリしてしまいますから。
本当は言っていいとは言えないけど、でも、何かあったら、私も一緒に謝るから。とにかくお母さんの体調には注意して、無理しないように楽しんできてくださいね。
そしたら、今から内診して、詳しい話をします。
そう言われ、部屋を変えて内診もした。
まだ子宮頸管も長いし、降りて来ていないね。
そして、また部屋を変え、今度は具体的に出産の話になった。
そのときいただいた説明書には、
骨盤位であること(逆子ちゃん)
心拍がすごくゆっくりになっているので、そのままゆっくり止まってしまう可能性が高いこと
娩出しても治療は困難のため自然に経過をみていること
陣痛など分娩開始しても分娩の途中で胎児死亡となる可能性があること
心拍がある間に分娩したい希望が強くても、出生後の治療が困難であること
骨盤位でも陣痛がきたら、自然に経過を見ていくこと
胎児水腫が強い状況で早産になった場合、集中治療をしても生存が難しいこと
母体のミラー症候群(浮腫、血圧上昇、貧血悪化、肺に水が溜まる、肝酵素上昇、血小板低下)に注意していく
またこのような状況の場合、早期娩出が必要
このことについて説明してもらい、改めて、現実は厳しいなと思った。
でも、私たちには、できることをするしかない。
何ができるのか。
七奈ちゃんと楽しく過ごすこと。
七奈ちゃんの生きる力を信じること。
このことしかないってそう思ってたので、母体に気をつけながら、先生の注意を踏まえて、最後の旅行に行くことにした。
夫と診察の後、主治医の先生について、本当に感謝しかないと確認し合った。
旅行に行っていいと言ってくれたのが嬉しかった。ありがたかった。
この後、内診したからなのか、少しお腹が張ることが増えた。
特に夕方に張ることが増えて、これまであまり夫1人に任せず、夕飯の支度や寝かしつけをやって来たけれど、さすがにこの後の2日間は、お腹が張ったら、布団に横になるようにした。
朝まで強く張っていたら、病院に電話しよう、そうも思っていたけれど、すっかり朝にはいつも通りになっていて、旅行にも行けそうだった。