見出し画像

【ななちゃんのお産⑤】

今日は、ついに生まれた日のことを綴っていきたいと思います。

※死産のお産の話です。読みたくない方は、読み進めないでくださいね。

2024.5.10(30w6d)
子宮内胎児死亡から8日目
入院4日目


夜は、ぐっすり眠れた。
こんなに眠れて、本当に産まれるのかな。
そんなことを思ってた気がする。
それくらい、陣痛は遠のいていて、子宮頸管拡張処置をしたのに、子宮口は開いているのかな?開いていなかったらどうしよう?と考えていた。

朝ごはんも普通に食べ、やはり早めの時間に先生が部屋にくる。


痛みはどう?


みんな、痛みがくることを待っている。でも来ない。とりあえず診察して、拡張剤を抜きましょうということだったので、9時前に診察室へ。


抜くのも痛いけど、2回目は慣れたもんで、あっという間に終わった気もする。グリグリもされて、


子宮口は、5〜6センチですね!今日、点滴しましょう。ただ羊水が多くて、産まれないのかもしれないね。もし陣痛が進まなかったら、今日は破水させますね。


初日に、最終手段と言っていた、破水させる、が現実的になってきた。

羊水が膜に包まれていて、その膜ごと産まれてくることもある、なんて、初日の助産師さんが言ってたけど、それにはならなさそうだなって思った。膜に包まれている、ななちゃん見てみたかった。



部屋に戻り、LDR室へ呼ばれるのを待った。
陣痛は、ほとんどなかった。
なかなか呼ばれず待ち遠しかったけれど、陣痛起きるように部屋をウロウロしたり、瞑想したりしていた。


10時半過ぎくらいにようやく移動して、点滴の準備が始まった。
せっかく挿したままにしてあった、点滴の針だったけど、少し腫れてしまった感じで痛かったので、抜いて、逆の手に点滴をした。

夫も11時くらいには着いて、一緒に陣痛が強まるのを待つ。

やはり5分間隔くらいではくるのだが、まだ1番痛かったときよりは痛くない、という感じ。

そして、ときどきくる主治医の先生も、部屋の担当の助産師さんも、痛みが強くなるのを見ると、少し嬉しそうだった笑 こちらは、痛いのに。と思っていた。


お昼ご飯も食べられそうということで、持ってきてもらった!この日は初めての麺だった。


この日の昼食


病院の食事として、ラーメンってどうなのかな?って思ったけど、ラーメン大好きな私にとって、タンメンは嬉しかった。
のびる前に食べることができて嬉しかったが、野菜がたっぷり、副菜も2品あって、盛りだくさんだったから、全部食べることは無理だった。


食事が終わっても、5分間隔は縮まらない。


午後14時前くらいだったか、主治医の先生が、

やっぱり破水させないとダメかもしれませんね〜

と言いに来て、破水させることになった。


準備を整えてもらい、15時ごろ破水。
私の下半身で何かが起きてるので、どうやったのか私にはわからなかったけど、一瞬何かがぷつっと弾けるような感じで、そのあと生温かい水がだーっと流れていった。

どのくらい出たんですか?

と興味本位で聞くと、

今、200から300くらいですね〜

と教えてもらった。
そこから、少しずつ少しずつまだまだ流れてくるらしい。そして、800〜1000mlくらい、全部で羊水が入っていたようだった。



そうこうしているうちに、陣痛が強まりだした。


い、痛いです!!


と助産師さんに伝え、陣痛の波がくるたびに、


いたっ いたっ いたたたたっ


と小刻みに痛いと言っていた私は、助産師さんに、


叫び声は伸ばした方がいいですよー


と言われ、そうだ、確かに息を吐かなくてはいけない!と思い、


いたーーーーーーーーーーい!


と叫びながら、陣痛を耐えることに決めた。


3〜4分間隔で、


いたーーーーーーーーーい!


と叫び、分娩台の持ち手?をつかみ、横向きの姿勢の私に、夫はもう自分がどうしていいかわからなくなってしまったようで(これでも4回目)、



いたーーーーーーーーーーーーい!


と叫んでる横で


ぐすっ ぐすっ ぐすっ


と泣き始めてしまった。ただ泣いている夫にかまっている余裕はなく、私の痛いの叫び声と夫の泣き声のハーモニー。
私の脳裏には、ななちゃん頑張れ!ななちゃん心臓は止まっちゃってるのに。でも、すごく痛い!陣痛は来るんだ。ママが頑張ってお腹の外に出してあげるからねーそんなことを考えていたと思う。


夫と、私の、2,3分おきでの叫び声と泣き声のハーモニー。10回くらい繰り返したところで、何かが挟まったような感じが。


助産師さんに伝えると、診察するので、仰向けになってください、と。


え、この状況で!?!?


という感じだったけど、助産師さんの手助けで仰向けに。先生もどこからともなく登場。


はい、椅子を動かしますよー


分娩台がウィーンと開く。え、この状況で!?!?これが噂の分娩台!?え、今から体勢変えるの!?!?


そんなことを考えている間もなく、波がやってくる。


はい、足をもう少し開いて〜
足をここにつけた方が楽ですよ〜


といろいろ言われたけど、動くのが大変笑
でも、言われるがままに何とか体勢を変え、陣痛の波が


ぐりっ


何かが出てきた感じ。助産師さんは手袋装着が間に合わなかったらしい。先生が


はい、頭出てきましたよー
あとはゆっくり、身体を出しましょうね〜


そこからの陣痛の波はそんなに痛くもなく。あとはするっ、ドゥルンっと出てきてくれました。


ほらー、頭抱えて出てきたよー


メガネを外していたので、その姿を見れなかったことが悔しい。夫は、


俺がいつも頭を抱えてるからかな


なんて冗談を言いながら、泣いていた。


16:28  ななちゃん誕生。


はい!と赤ちゃんをすぐに胸に抱かせてくれて、


おめでとう!


と言ってもらいました。


赤い!赤ちゃんだから、やっぱり赤い。
可愛い〜よかったねー、産まれて



私が話した言葉はこんな感じだったと思う。
手が顔を押さえて産まれてきたから、手を外したときに、顔の皮膚が剥けちゃって、赤くなっちゃったんだけど、それでもとっても可愛かった。
心の底から、本当によかった、ありがとうってそう思った。

産声をあげないことが悲しいって、いろいろな人の体験談を読んでいたけれど、産声をあげなくても、この子を産んだっていう実感がみるみる湧いて、私はその瞬間、ものすごい幸福感があった。


これが「誕生死」の意味なのかなって思う。


英語では、おなかの中で亡くなったケースを、"STILLBORN"と言います。日本語では単に「死産の」と訳されますが、"STILLBORN"には、「それでもなお生まれてきた」という深い含みがあり、「死産の」という日本語では、あまりにそぐわないと、私たちは感じてきました。おなかの中で亡くなってしまった場合は、戸籍にも載らず、存在がなかったことになってしまいます。でも、私たちの子どもは、どんなに短い命であろうと、確かにこの世に生まれたのです。たとえ、子宮という小さな世界から、生きて外にでてくることがなかったとしても、あるいは生まれてすぐに亡くなってしまったとしても、私たちにとっては、確かにわが子は"誕生した"のです。(中略)
妊娠週数や生まれてからの時間のちがいといった、命の長さに関係なく、子どもの死を悲しみ、ずっと思いつづけていくことは同じであることを私たちは知りました。その意味でも私たちは、流産・死産・新生児死などの幼い赤ちゃんの死をすべてふくめて、「誕生死」と呼ぶことにしました。

流産・死産・新生児死で子をなくした親の会著
「誕生死」あとがきより


横で夫は、腫らした目をしながら、


本当に〇〇はすごいよ(私のこと)。ありがとう。


って言ってたと思う。


それで、女の子ですよねー?


と私が聞くと、先生は、


あ、見てなかったわ〜


と言ったので、みんなで確認。女の子でした笑。


胎盤が出てくるのを待ったり、内診したり、まだなんか器具を入れて、何かしらグリグリされるのも、少し痛くて、我慢していましたが、本当にこの生まれた瞬間は、生きている上3人の子が生まれた瞬間と何も変わらず、やはり、晴れやかな、そして、とても感動する、そして、赤ちゃんがとても愛おしい、そんな瞬間だった。




産まれたその日に記した気持ちはこちら。


七奈
2024.5.10.16:28生まれ
体重964g
身長33.0cm
頭位24.0cm
胸囲24.5cm

いいなと思ったら応援しよう!