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【妊娠の記録15】家族への説明
前回記事はこちら。
2024.4.5(25w6d)続き
胎児水腫になってしまい、
胎内で死亡することもある、と聞いた私たち夫婦は、これからどうするのか話し合った。
積極的治療についての説明書ももらったが、私へのリスクは大きいし、24時間点滴を3ヶ月続けたところで、お腹の赤ちゃんの病気の原因は心臓にあるので、胎児水腫が一旦改善しても、また血液の循環のめぐりで、また同じようになる、との説明を受けたので、治療を受ける気にならなかった。
結局は、心臓が治らないとだめなんだ。
そのためには、手術できるくらいの大きさまで育てないといけない。
お腹の赤ちゃんは今、私の胎内で成長している。
脈拍は遅くなっているが生きている。
帝王切開で、早く出して、少しでも生きているうちに会う、という選択肢も選ばなかった。
いつまで生きるのかなんて、誰にもわからないからだ。
明日かもしれない。
来週かもしれない。
このまま予定日まで大きくなるかもしれない。
どの可能性も考えられることだった。
だから、途中でお腹から出すことなんてできない。
やっぱり、私たちは、お医者さんの助言を信頼して、このまま胎内で亡くなるかもしれない、でも、その日までしっかりお腹で育ててあげようと思った。
何よりも七奈ちゃんは、その日も元気に楽しそうに動いているのだから。
病院での説明の後、まずは、私の実家へ向かった。
私の父は内科医、母は小児科医、弟も内科医だ。3人に集まってもらった。そして、子どもたち3人も一緒に聞いてもらった。
もちろん次男3歳は、なんのことだかわからないけど、それでもお医者さんの説明と同じことを大人と一緒に聞いてもらった。
父、母、弟は、言葉数少なめに
どうなるかわからないけど、信じるしかないよね。
そう言っていたと思う。
(もうこのときの記憶は曖昧。)
娘は、(当時9歳10ヶ月)話がなんとなくわかったようで、無言で静かに涙を流していた。
長男(7歳3ヶ月)は、一言。
10%かぁ。10%ってどのくらい?
でも、10%は可能性があるんだよね!
前向きなのか、わかっているのか、はたまた数字に興味があっただけなのか。
気持ちや感じたことの真意はわからなかったけど、もしかしたら、まだ病気とか死とかがわからないのかもしれないなと思った。
さて、これから、どうしよう。
私たちは、とにかく今を大切にすることに決めた。
お腹の赤ちゃんに名前をつけよう。
名前でたくさん話しかけよう。
毎日話しかけよう。
いつ亡くなっても後悔しないように、楽しく生きよう
そう決めたし、家族でそうしようと話し合った。
翌日、義理のお母さんにも話した。
泣き崩れていた。
私は泣かずに伝えることができた。
とにかくまだ生きてるから、楽しくしていたいと。
家族の時間を大切にしたい。
と。
ただその時点で決まっていた、義実家の旅行(夫の弟は2家族と義両親)が翌週にあったのだが、私は行けない、と伝えた。
自分の予定日の1ヶ月前に出産を控えている妊婦の義妹や他の義弟家族たちと、どんな顔してその話をしたらいいのかわからなかった。
夫に、みんなに伝えておいて欲しい、とだけ伝えて、私は土日はゆっくりすることにした。
この週末、桜は満開だった。
私は、たぶん来年から、近所の公園の桜が満開になるたびに、お腹の大きかった自分、七奈ちゃんと過ごした日々を思い出すと思う。
このときの素直な気持ちを書いた記事はこちら。