ペリネイタルロスとグリーフケア
これまで、私の身に起こった誕生死についての記事を書いていきました。
死産という言い方のが一般的だと思います。
死産っていう言い方は、死が先にきているので、なんだか冷たく感じてしまっています。
なので、私は誕生死という言い方をします。
ちなみに、英語では、still-bornという言い方をするみたいで、「それでもなお、産まれる」と直訳できますよね。
産まれる、産まれた。確かにそこにあった。そう思っています。
ちょうど、仕事がお休みの期間、「海のはじまり」というドラマを見ました。お母さんを亡くした海ちゃんが、「でも、ママはいたよね?ここにいたよね?」そんな風に問うシーンが何度も出てくるのですが、この気持ちが、いまの自分にもよくわかりました。
確かにそこにいた。一緒に生きてた。
私じゃない人には、わかりにくいし、実感しにくいかもしれないけど、本当に生きていた。そうなんです。
私自身、こういう経験をするまでは、死産という言葉は知っていても、どこか遠くの世界のことで、今こうして体験したからこそわかる感覚を全く知りませんでした。流産でさえ、よくあること、6回に1回くらいは自分の身に起こるかもしれない、そんな風にしか捉えていなくて、実際に経験している人の気持ちに寄り添えてはいなかったと思います。
ペリネイタルロスとは、周産期に関わる喪失体験のことをいいます。
この言葉も、今回の誕生死の経験をするまでは知りませんでした。そして、身の回りの人ほとんどの人が知らない言葉であるだろうと思っています。
誕生死した直後に、おばあちゃんや両親などが亡くなった場合との気持ちの比較をしてみようと思いました。
でも、それは無理でした。
私は、これまで身近な人の喪失体験といえば、自分の祖父母くらいでした。(母方のおばあちゃん以外は亡くなっています)両親も健在ですので、本当に身近な家族が亡くなる、という経験をしてきませんでした。
この年になると、両親のどちらかが亡くなるという経験をしている友達などもいました。
どちらが辛いのかな?なんて考えてみたけれど、比べることはできないなぁと思いました。
大好きなおばあちゃんが亡くなったのは、25歳のときで、それが私にとって初めての身近な人の死でした。たくさん泣いたけれど、すっとおばあちゃんは亡くなってしまったんだという事実を、時間と共に受け入れられるようになり、おばあちゃんと過ごした日々や思い出、口癖や好きだったものなど忘れないように、口に出したり、好きな料理を作って食べたりそういうことをしていました。
今でも時々夢に出てくるけど、おばあちゃんがいない!と泣くことはもうないです。
自分のお腹の中にいた七奈ちゃんの死についても、いつかそんな風になるのかな?と思いつつ、でも、今はそうなってしまうのも嫌だなという自分もいます。
誕生死の場合は、特に私の場合は、29週と5日で亡くなり、胎動もしっかりあった、お腹も側から見ても大きくなっている、29週まで成長して亡くなる確率が限りなく低い、産まれてから亡くなったわけではない、など、生きている実感も亡くなった実感も、自分の中にはきちんとあるのに、人から見るとあまり理解されないのも、余計に悲しみが増す原因なのかなって思います。
職場の人や妊娠を知ってた人、義父母や両親、親戚など身近な人でさえ、七奈ちゃんの話はもうあまりしません。職場の人や妊娠を知っていた友人、知人は、最初の一言もなんて声かけたらいいのか、そのことには触れた方がいいのか触れない方がいいのか、それすら悩んでて、こちらからも本来の気持ちが見えないと思います。
なので、余計に近いようで遠い関係性の人との間に溝ができていってしまってるような感じがします。
きっとこの気持ちは、同じような経験をした人しかわからないと思う反面、(でも、同じような経験といっても、一人ひとりの経験は違うから全く同じ経験はないので、心底共感するというのはなかなか難しいとは思う)1人でも多くの人に、こういう経験をすることもあるんだよということを知ってもらいたいなとも思います。
さて、グリーフケアという言葉も、私は今回初めて知ったわけですが、また次の記事にでも、私の中で、どんなケアを自分でしていったかについても書いていきたいなと思います。