【連載小説】純文学を書いてみた4-2
白杖ガールと大学生「僕」の交流を描きます。今回は急展開ですが、果たしてどうなることやら。
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どうぞ読んでやってくださいm(_ _)m
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午後3時だというのに日が陰っているように感じる。僕らは一時間かかる帰路についていた。少し口数は減ったけれど僕らはお互いのことを話した。
「大学っておもしろい?」
「正直つまらないよ。意味のわからない講義ばかり」
「何を学んでいるの?」
「わかんない、一般教養っていうのかな」
自分が何のために大学へ行くのか。社会へ放り投げられる前のちょっとした猶予期間。正直な気持ちはそんなところだった。
「これから受験する人に対してもう少し魅力的な言葉はないの?」
「飲み会、サークル活動。かわいい子がたくさん」
「バカみたい」
彼女にとって、その人の魅力は姿では理解しにくいことは確かだった。触れた体の輪郭や声、においや雰囲気でしかその人を捉えることはできないのだろうか。2割しか恋愛も楽しめない。そんな彼女の言葉を思い出す。
でも、その2割は僕と彼女にとっての10割であることだけは確かだった。
僕は彼女の横顔を一瞬見て問いかけた。
「思うんだけど」
「なに?」
「障害者って言葉に違和感があるんだ」
「そう?」
「親父が障害者だってことがなんだか納得いかないというかさ」
「それは、かえって失礼なことよ、そもそも障害なんてここからここまでなんて線引きはないの。今まで普通に生活していた人が事故にあって何か障害を負ってしまったからっていきなりその人が健常者から障害者にかわるわけじゃないのよ」
「線引きはできないか。グラデーションみたいなものかな」
僕が応じると、彼女は続けた。
「健常者の中に障がい者はいる。これすごい大切なことよ。不便さや生きづらさもあるし」
障害を「生きづらさ」と考えたら、なんだかすべての人が健常者であるような、また障害者であるような気がしてきた。
言葉の限界なのだろうか、いや後から考えれば、.その言葉を使う我々社会に向けた彼女なりの問いであったのだろう。
彼女は伸びをした。
「体の機能ばかりじゃないものね。障害って」
静かに言った。
曲がりくねった道を進めばいくらか直線の道路がある。でもその直線もすぐにまた緩やかなカーブを描き始め、僕らの体は左右に少しだけ傾いた。山の緑は薄く秋らしい山の香りをあとに残している。
クラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」が今日は五感に染みる。
「私の弟は知的に障害があるの。でも彼はとっても元気よ。大好きなハーモニカで好きな音楽を吹いて、体いっぱいに絵の具で絵を描くんだって」
誇らしげに彼女は言った。
「そうかぁ。」
「どうしたのよ」
「いやぁ、なんでもない」
「あなたは大学でしっかり勉強しなさいよ」
母親のような口調で彼女はおどけて言った。
車は来た道と同じ風景を逆にして、ずっと早いスピードで進んでいるような気がした。大してスピードを出していないのに、だ。
「すごいお願いしていい?」
見慣れた町並みに近づいたときだった。
「私入ってみたいところがあるんだけど」
「いいけど、どこ?」
意外な言葉が彼女の口から出てきた。
「ホテル、そういうこと専門の」
「面白いこというね、俺だから冗談ですむけどほかの人に言ったら恐ろしい誤解につながるよ、それ」
「あなただから言うんじゃない」
「何するところか知ってる?」
「知ってるわよ。でもそういうんじゃないの、生活経験として行ってみたいの」
「行ってもし俺が君を押し倒したらどうするの?」
「あなたにそれはできないわ」
「なんで?」
「やさしいもの」
母の葬儀の次の日、僕は大学の女友達を家に呼んでいた。父が僕の部屋に入ってきたとき、僕はその子の下着を脱がし終えるところだった。それでも僕は「もう少しで彼女を送っていく」と、平然と父に言った。
その子もその光景に遵って「こんにちは」と自然な挨拶を見えない父と交わした。打ち合わせもなくそんなことができてしまう。
僕は決して誇れた男ではない。もちろん優しい男でもない。この世に本当に優しい人なんているのだろうか、少なくとも僕の情念は甘さと独善にあふれている。
僕らは帰り道の国道から少しはなれた新しくも古くもないホテルに入った。
黄色の看板に赤い文字『ショートタイム3600円』その料金制のことすら彼女には驚きだったようだ。
「なんだかここまでくると潔さまで覚えるわね。みんな3時間でセックスして、お茶飲んで帰るの?」
「わかんないな、人のことは。でもたいていそんな感じじゃないの」
僕は彼女のガイドをして部屋の隅々まで彼女に説明をした。
32型の液晶テレビ、空気清浄機、洗面台、楕円形のバスタブ、スロットの機械やマッサージチェアまであった。
彼女がもっとも驚いたのは液晶テレビのアダルト専用チャンネルだった。
「これ今何してるの?」
「いや、わかって言ってるでしょ?」
「こんな声が出るなんて、考えもしなかったわ」
「こういうのって半分作り物だよ」
「ふーん、でも半分は本当なんでしょ?」
「まあ、そういわれればそうだね」
少し言葉を選べばよかったと僕は思った。そして、なるべく見ないようにしておいた。
少女のような無邪気さがあった。けれど、そこには性的な興奮ではなく、本当に生活経験としての興味だけが彼女にあるような気がした。
後から知ったが、スウェーデンなどの北欧諸国では盲教育の中で、実際にボランティアが男女の性器を触らせ性教育を行うというものがあるらしい。日本ではどうなのだろう。
少なくとも彼女の性の知識は、ドラッグと煙草とセックスがよく出る小説と、僕とのくだらない会話からのものだ。
もちろんそれでも十分なのだけれど。
僕はリモコンを取りあげ有線の洋楽チャンネルに切り替えた。
「もう少し見たいのに」
「本来こういうのは男の需要によって成り立つ産業なんだよ」
「あなたも興奮とかしちゃうの?」
「君がいなかったらするかもね」
とたんに僕らは沈黙し、ベッドに寝そべった。BGMが静かに流れる空間に思わず眠ってしまおうかと思った。煙草は吸わないでおいた。音が音楽しかないはずなのに何かがなっているような気がする。呼吸なのだろうか。体が微細な振動を伴って空気を震わせる。彼女の髪がベッドに触れた事ですら大ごとのような気がした。
どのくらい経ってからだろう。それは短くも長くもあったような気がする。目をつぶれば、かすかに国道を通る車の音が聞こえては消え、消えては聞こえてくる。ずっと現実的な音なのにそれを意識するのは本当に遅かった。
「片眼をカラスに食べられた少女の話知ってる?」
「知らないな。じゃあ自分の名前を忘れたピアニストの話は?」
彼女と僕は堰を切ったように話し始めた。
3時間はあっという間に過ぎた。僕らは話をたくさんした。それぞれどんな話で何の意味があるのかなんて思い出せないけれど、彼女の語った言葉たちは断片的に、リズムと音階のような電子記号になって僕の脳味噌の深いところに刻み込まれた。
彼女の選ぶ言葉には視覚を補うような絶妙な言い回しが多い。詩的でユーモラスで視覚以外のすべての感覚に働きかける心地よさがあった。
あと少し沈黙が長かったらこんなに語らなかっただろう。もちろん根拠のない確信だ。
自分の彼女に対する思いの幾分かは明らかな好意に他ならなかった。でも、その好意は今まで一度も経験したことのないような感覚で、狂おしいほどの情愛とか、甘く切ない恋心とは違う種類のものだ。兄弟?いや、やっぱり違う。「好きだ」と言ってしまえば楽になるような感覚とは程遠かった。
話が長引いて延長料金を払ったのはさすがにこれが最初で最後だった。
有線チャンネル最後の曲はエアロスミスの「スウィート・エモーション」
スティーブン・タイラーの大きな口にすべてを押し込んで僕らは車に体を放り込んだ。
つづく
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