【連載小説】純文学を書いてみた3-2
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今週は青い背表紙のファイルが十二と黄色の背表紙のファイルが六つだった。
「あら、今日はあなただけなの?」
父の荷物を車に積み終わって職員室に入ると、尾村さんは少し不思議そうな顔をして、僕に挽きたての香りのいいコーヒーを湯のみ茶碗に注いでくれた。湯のみ茶碗には「記念100周年」と書かれてある。
「今日は予約がたくさんあったみたいで」
「そう、でもよかった。お父さんがんばっているみたいね」
「どうなんですかね?」
僕は窓の外を見ながら耳を澄ました。今日はどうやら野球はやっていないようだ。あの日と違って灰色の絵の具を乱暴に試し塗りしたような曇天だった。
「正直心配だったのよ、今までのあの人を取り巻く環境がいっぺんに変わってしまうような気がしたわ。でもそんなに変わらなかった。変わったのかもしれないけれど、少なくとも私には気丈にこれからのことを語っていたわよ」
尾村さんは「さあどうぞ」と小さな銀色の包みに入った焼き菓子を僕に手渡した。すいませんと小さな声でそれをいただいた。
「多分必死なんだと思います。父は父で」
「そうね、あなたがそう思っていてくれることが何よりの救いね。あの人不器用だから」
その言葉のなかに僕には及びもしないような父への親密さと、少しの敬意を感じた。もちろん父と尾村さんがどんな関係かだなんて聞くことは僕にはできなかった。
「不思議なんですよね。父が見えないことをあまり考えたことがなかったというか、関心がなかったのか。ただ、いま自分が父と二人だけになってしまって、やっぱり何かしてあげたい気持ちはあるんですけど。」
「もう十分役にたってるわよ」
「そうですか?」
「あなたが少しでも父親のことを考えるようになった。ね、十分なのよ、あなたのお父さんにとっては」
「そういうものか」と腑に落ちることはなさそうだったので、僕はうーんと訝しい相槌を打った。
「じゃあこれで」と職員室を出ようとしたとき、尾村さんはちょっと待ってと薄い黄色い冊子のようなものをくれた。
「あなたのお母さんが最初に読んだ本と同じよ。もっともあなたのお母さんがこの本を読んだって話は聞かなかったけれど」
ちょっと意地の悪い顔をしながらも、またいつものように尾村さんのしわが笑った。
それは点字入門の冊子だった。
「ありがとうございます」少し気のない返事をしてそれを受け取った。
その瞬間、職員室のドアが開いた。
「こんにちは」
独特な午後の静けさを打ち消すかのような陽気な声。彼女だった。
「こんにちは、今日はどうしたの?」
尾村さんの声に僕の「どーも」と言った声は打ち消されていた。
「あれ?あなた今日もきてるのね」
「この前はどーも」
2回目の「どーも」で自分の顔が和らいだのがわかった。そういえば今度あったら名前を聞こうと思っていた。
「尾村先生、また図書館空けてもらっていい?」
相変わらず濃い藍色のジーパンとサングラスが似合っていた。
「いいわよ。じゃあ、はい」
「え?」
尾村さんは机から鍵を取り出すと僕に渡し、耳元でささやいた。
(よろしくね)
◇
誘うような甘い香りとタバコの匂い。かすかなBGMの音。
「この世で一番美しく見えるものって何?」
「うーん。難しい質問だね」
「直感でいいのよ?」
「人間の瞳かな」
「へー意外ね。私は虹かな。私には見えないけど、心が動くのがわかったわ。虹がでたときのみんなの心がね」
そっと手が触れたのがわかった。
◇
つづく
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ショートストーリーもまた書いてみました。あわせて読んでもらえたら嬉しいです。