【連載小説】純文学を書いてみた 最終話
大学生の「僕」はもう一度彼女に会うことができるのでしょうか?
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1回目…https://note.com/sev0504t/n/n19bae988e901
最終回になります。読んでいただいてありがとうございます。
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土曜日の朝、白いアルトを洗った。隣の家のハイブリットカーよりもアルトは白く輝いた。気がした。
土曜日というのはこうも静かなものなのだろうか。きっと彼女の話していた野球大会も終わり、静かに冬を待つ校舎は、何年も雨風にさらされたのであろう、壁面はところどころ黄ばんでそれは白色ではなかった。正面玄関に車を止めると、北からやってきた寒さ混じりの空気を思いきり吸い込んで僕は中に入っていった。
「こんにちは」
「ありがとうね、きてくれて」
ファンヒーターが飛行機のような音を立てながら部屋を暖めるがあまり暖かくはなかった。尾村さんも来たばかりなのだろうか。
「ごめんなさいね、変な手紙を入れたりして」
いつものように入れてくれるコーヒー。僕は二人がけのソファーに腰を下ろしてありがとうございますと小さなコーヒーカップになみなみと注がれたコーヒーを注意深くすすった。
「元気だった?」
「まあ、元気です」
「あれからいろいろあってね」
いい気はしなかった。物事を濁す大人たちの言い回し。でもすぐに、それが大人だということを思いだし、妙に心静かになった。
「調子はどうなんですか?」
僕も言葉を濁して聞いてみる。
「決していい調子ではないわよ。あなたとの一件があってしばらくしてから、彩ちゃん学校に来なくなったの」
いっきに飲み干そうとしたコーヒーが喉のところで激しい熱と苦味を持った。思わず僕は尾村さんの右目を見上げるように見つめた。
「学校に来なくなったって、どういうことなんですか?」
「どうしてかなんてわからないけれど、あなたのことが無関係だとは思えないわ。私たちもお母さんと連絡をとったりはしているんだけどほとんど部屋にこもって勉強したり、本をよんだり、ラジオを聴いてるだけだって。」
「で、俺に会いに行ってくれってことですか?」
尾村さんはおもむろに立ち上がり、父のファイルをダンボールに詰め込みながらため息混じりに言った。
「学校に関係のないあなたに頼むのはとっても気が引けるわ。でも、もしかしたらあなたが彩ちゃんに会うことがあの子にとって今の最善なのかもしれないとは思うのよ」
「でも、何にもできないと思いますよ」
「大丈夫。でも、うちの生徒をうちの学校が守れないのに、あなたに頼むなんてちょっと調子よすぎるものね。彩ちゃんも最初はきてたのよ。学校。でも本当に急なのよ。1ヶ月前、急に来なくなったの」
「思い当たることないんですか?」
「あるような気もするし、ないような気もするわ。考えれば考えるほどあなたとの一件しか考えられないのよ。私は視覚障害の中でもまだ見えるほうだけれど、あの子は光とうっすらと影像のように浮かぶ輪郭しか感じない。そんな子があなたみたいに同年代のしかも男の子と親しくなった。少なくとも好意のような憧れのようなものを彼女はあなたに感じていたわ。見えない子が見える子に好意を持つ。それはやっぱり簡単なことじゃないと思うの」
尾村さんは真剣だったが、どうもそんな理由で彼女が学校を休むなんて考えられなかった。僕はコーヒーカップにわずかに残るコーヒーを何度もすすった。もっと物事は単純だと思った。
「ちょっと気になったんですけど」
「なに?」
「手紙の親父がどうのってなんなんですか?何か問題でもあったんですか?」
「ないものに憧れることよ」
ため息混じりだった。
それ以上は聞かなかった。そして聞きたくもなかった。ほとんど空のコーヒーに何度も口を近づけた。そして僕は二十冊のファイルと、彩の家の住所が書かれた紙をもらった。
尾村さんは父のことなら何でも知っていた。でも、母のことはまるで知らなかった。どこかから急にやってきた名も知らぬ晴眼の女性に父を受け渡したような、奪われたような、そんな気さえした。
感情は渦を持って冬空を旋回する。真に盲目的な大人たちの都合のよい帰結を逃れるように、それは螺旋を描き、最も無視できない感情と彼女が語った言葉が僕を包んだ。
学校を出るときに正面玄関に教員一同の写真と運動会と音楽会なのだろうか、三、四枚ほどのスナップ写真が学級新聞のような形式でまとめられているのが目に付いた。体育館のステージでピアノを弾きながら歌う彼女の写真がある。スティービー・ワンダーのようなソウルフルな歌声が聞こえてきそうだ。とりあえず教頭に合掌して二十枚の黄緑色のタイルを僕はなんとか車に詰め込んだ。
・・・ジョージア・・・
懐かしい君の歌・・・
そっと届くよ・・・
松葉を透く月光のように
感じるんだ・・・
その腕が・・
差し伸べられるのを・・・
瞳が僕に・・・
微笑みかけるのを・・・
やさしく
安らかに見るのは・・・
霧がかった道
彼女は次の週から何もなかったかのように学校へ通いだした。
何をしたかって?
僕は「レイ・チャールズは最高だよ」って言っただけだ。そして彼はヘロイン中毒から立ち直ったんだと付け加えておいた。
彼女に持っていったCDは貸したまま残念ながら今日まで返ってきていない。
家政婦のみゆきさんが来るようになっても、彼女が、彩が東京の大学に進学しても別段僕の生活に変化はなかった。父は相変わらず日に日に彩りを増すタイルの海で仕事をこなし、僕はバイトと大学と家を行き来する毎日だ。母の遺骨は白いシーツをかけた小さなテーブルの上におかれている。
新しい家政婦のみゆきさんのおかげで母の遺品はどんどん片付いた。それを片付いたと表現するのは些か不謹慎かもしれないが、僕と父にとってはすべてが思い出の中にあったし、母の物がなくなればなくなるほど母の思い出は色濃く僕の記憶に留まったようにも思う。
尾村さんの記憶の中にある、母に渡した黄色い冊子が出てきたのは、いつものように父の長袖のシャツを洗濯しているときだった。
「これ大事なものなんですよね?」
帰りがけのみゆきさんが僕のところへ高価な壷でも抱えるように持ってきた。その左開きの冊子は僕の持っているものよりも表紙が白に近い黄色をしていた。時間がたってそんな色になったのかはわからないが、表紙も中身もほとんど同じようなものだった。
自分の部屋でよく比べたが、やはり同じもののようだ。ぱらぱらとめくってみる。長い年月を感じさせる古臭いインクとほこりの香りがした。使い込んではいないけれど、下線が引かれ、折り目のついたページもあった。そして、最後のページをめくったとき、白い一枚の点字紙に刻まれた6行の文章が、まるでその本の1ページのようにしっかりと挟まっていた。
僕は洗濯の後の一服も忘れて、治療室のドアをノックする。「どうした?」父があけたドアからは柔らかな春の風が吹きぬけ、何かが風に乗って僕と父の間を流れるように駆け抜けていく。
重さも形もない。
それでも何かとわかる確実な存在感が僕の全身を満たしているようだった。
おしまい
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次回…あとがき