結論 映画五等分の花嫁について
映画五等分の花嫁に関しての考察、1ヶ月半近く四葉エンドになる論理を考えてましたが結論としては
「存在し得ない」
でした。おそらく「アニメを三玖エンドの予定で作っていたが何らかの事情により2期終了後変更せざるを得なくなった」
が正解でしょう。以下納得度で分けます。
可能な限り公式に都合よく解釈して無意味な描写として諸々を極力捉えないよう見ていきます。
1.五等分の花嫁における中野三玖の役割
私自身は全く納得はできませんが五等分の花嫁における三玖の役割に意味を見出すなら「四葉にすべてを奪われる」だったと思われます。
公式が三玖エンドを考えてなかった、アニメも途中で予定を変更していなかったという情報を信じるのであれば考えられそうな解釈は三玖=39=感謝に該当する人物が持っているものをすべてを花嫁に移すことで花嫁が選ばれる理由の感謝を表現したかったのかなぁと。
具体的には式場にある青い花の描写+控室にある黄色紫緑赤の花束の描写(1期12話)は三玖に対応する青い花を四葉が手に入れる描写、14.5巻の青い花、三玖とのデートの曲「ありがとうの花」をEDとし四葉のものとして、日の出祭りの三玖の倒れるイベントと四葉の倒れるイベント、教室にいない三玖と教室にいない四葉を対応、最後の祭りが三玖の場合の日間賀島(日の出祭)と8巻タコのオブジェ(たこ焼き屋台)と押し倒してキスと頭上の鐘(1巻屋上の鐘状の放送設備)の誓いの鐘との対応、13巻から14巻における飲み物買ってスマホを拾って追いかけっこ→見失って道を教えてもらって→草むらに倒れるという三玖の屋上の告白イベントを四葉に対応させ、二乃と五月と四葉を三玖とフータローが説得した七つのさよならに五時間一部屋~五月の思い出を四葉と三玖を入れ替えて対応させ、リビングルームの告白に対応したプロポーズイベントを四葉に対応させ、最後に1話「五等分の花嫁」で「めんどくさい」のフレーズに対応した三玖から最終話「五等分の花嫁」で四葉に「めんどくさい」のフレーズを対応を持って三玖から全てを四葉に移し「感謝(39)」は四葉のものであることを表現したかったのかなぁと思われます(他にも色々)。
はっきり言って三玖好きとしては不快の極みの表現方法ですが「無意味に三玖と四葉のイベントを対応させた」としないならこれが一番理由になるかなぁと。
他4人全員から1イベントずつとって四葉に渡したとかならわからなくもないんですが全部三玖と入れ替えて対応するように作られてるからこうとしか…
たまたま一致した、というのも流石に屋上の告白周りの対応見ると無理すぎる…スマホを拾うところから全部一致って故意じゃないってのは無理筋すぎる。
2.ギリギリミスリードとして解釈できなくもないもの
描写としては完全に失格だと思いますが「やってなかった」と証明できないものは「実はやっていた」、「やっていた」が「意味はなかった」と解釈できなくはないものはあります。もっとも証拠がないので全く納得感は持てないですが。
例えば四葉のブランコ(2期10話)より早く見せた三玖の話をする時の普段と違う笑顔のフータロー(2期9話)。映像としては全く存在してませんがこれより前に四葉への笑顔が変化していた、と言われたら話としては通らなくはないです。推理ものとしては証拠が全くないので論外ですが…
同様に別にフータローもらいはも好みじゃない三玖の好みの抹茶入り緑茶をフータローが買ったのはたまたまで勇也が飲まない保証はない(2期7話)
どう見ても作者が1期12話を見ながら描いたとしか思えないし仕草が同じと思うけれども「顔は全員同じ」と表現したかった
たまたま四葉のクローバーを三葉のクローバーに変わっただけで資料を見ずに描いて一致してしまった
四葉は初日落書きしかせず初期評価は「こいつらどうしようもねえ」に含まれる変更はあったものの三玖と同じ日の勉強会時点で協力順1番と認識が確定しておりその後の「バスケ部に中間試験中も通っていた」という話の順番の影響はマイナス評価になっていない
四葉の詰め寄り仕草と二乃が三玖が誓いの鐘で動いてなさそうだと言う台詞がアニメで削除されており仕草から考えれば偽五月は四葉である可能性はなく三玖でなければ「仕草から見分けられる」という作品テーマの否定につながる。が、フータロー視点で走る速さで分かったと考えれば通らなくはない、画面に見えてないため視聴者視点でそれを知る術は全くないが。
作品テーマとして読者視点で矛盾するため論外としか思えませんがそう公式が認識していたかどうかは不明なのであり得なくはない。
手書きの問題集も筆跡から三玖が手伝ったと思わせる「4」だが三玖が協力した事自体に意味が大してなかった、と考えれば…
癖を見分けることに対して意味が何もないというのはミスリードとしてこの作品の見分けることが愛というテーマを崩壊させてますが公式がそう認識してなかったなら起こり得る。
2期10話の「四葉は学年が変わるまでほったらかし」の発言追加により四葉とそこまでで出かけていた可能性は0。実はでかけていた、というなら2期10話で一緒にでかける理由がなくなるし仮に勤労感謝ツアー相当のイベントをやっていたなら2回目の同じようなイベントをやっており行ったはずの店の紹介等を行っていることになる。そのため四葉が「大切なのは5人でいることなんです」をスパで伝えていた可能性も0。ギリギリ解釈を通そうとするのであれば四葉が学校か家庭教師の時になんらかの事情でフータローに「大切なのは5人でいること」を描写は全くないが伝えていた、これしかない。
2期2話の二乃が持っている服が2期10話にあるので誰かが来た、とはわかるが二乃が自分で服屋に来て買った、同様に四葉を退部させる時に三玖がスマホの電源を切っていたのも映画等ではなくたまたま電源を切っていたでこの2つはなんとか通らなくも…?意味なく行動変えてる事自体納得感ないけど。
3.ミスリードの可能性すら見いだせない完全なる矛盾点
納得感と説得力はまるでなくなるがやっていないイベントは描写はないがやっていたでまだ話の流れを通せなくはない。ブランコ告白の練習とか。
ただ「やったイベントをやっていないことにする」に加え「他の動機などもこじつけられない」そして「ミスとして起こったと考えられない」ものはどうしようもないです。
三玖を見つめる改変。この時点で好意である可能性はない。誰かを特別に思い始めるのは誓いの鐘で固定されているため。そのため三玖を写真の子として疑ってると解釈しました。なぜなら他に理由にできるものがないから。
この後三玖がバレンタインのチョコを食わせてくることにフータローの意識が向くのは明確に二乃が厨房で告白してくるタイミングであることが描写されるため理由には絶対に使えない。
これに連動して三玖がふーくんのネーミングをするタイミングでフータローがじっと見つめる改変があり理由は「上杉風太郎くん」と言いかけているから、京都のVサインが写真の子と一致するように改変されていること、京都初対面時「無罪」という言い回しと決意を決める時手を握る癖を見せたこと、「京都でであった子」と言われ行動した四葉が「写真の子ってなんですか?」という「写真の子」への言い回しで差があったこと他を「仕草」「声」「ふとした癖」による伏線とするつもりと考えていたんですが…
四葉を選ぶとしたら理由が何もなく三玖を見ていた、以外に思いつくものがないです。よってミスリードとしては成立しえない。
ミスとして考えるには明確に元の絵を見ながらでないと描けないほどの一致であることが解決できないです。雑に描いたと考えるのも人を減らすならともかく増やすのはどう考えても手間が追加されているのでそう解釈するのは無理です。適当に、雑に手間を減らしてアニメを作りたいなら画面に映る馬を減らすとかでしょう。
もう1つ。三玖エンドにしない必須条件は「誓いの鐘以降最低1回フータローが三玖を間違えているとわかる描写を入れる」。
具体的には「変化球勝負で一花に騙されること」。
一見アニメでも一花に騙されているようですが成立しえません。
理由は2期10話のフータローの台詞の改変「一昨日のことなんだけど」
この日が4月13日の金曜日であることはカレンダーで確定してる。
よってここで考えられるのは
1.三玖を見分けられておらず一昨日の4月11日に一花が騙そうとした
2.三玖を見分けられておらず一昨日以外の日に一花が騙そうとした
3.三玖を見分けられており一昨日の4月11日に一花が騙そうとした
4.三玖を見分けられており一昨日以外の日に一花が騙そうとした
の4パターン。
1が一番三玖エンドにしないならあるパターン。漫画は実際これに近い。
2.これはまずない。見分けられていないなら本物の三玖に一昨日のことを効かないとは思えない。実際漫画でフータローは騙された日を聞こうとしているので理由なく変更はありえない。
3.と4.は三玖エンドになるパターン。
よって花嫁を途中で三玖から四葉に変更したとするなら1.がありえないことを証明すればいい。
2期9話にて4月のカレンダーが映った後「来週から3年生」の発言があるため4月2週月曜が始業式の最速なのは確定。4月3週スタートだとフータローの誕生日より後開始になるのでそれは無理。
日付の変更が確定しているのは夜から朝に変わっているとわかるシーン。
よって
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①一花と登校~夜五つ子が誕生日プレゼントを話し合う
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②学級長推薦~二乃とフータローバイト
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③朝一花と登校~武田と全国一桁を宣言する
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4月13日 一昨日のことをフータローが三玖に聞こうとする
①②を火曜と水曜とした場合強制的に③が4月12日木曜、つまり4月13日の「一昨日のこと」が一花が騙そうとした日をささなくなるのでこっちは三玖エンドにしかならない。
よって①②が月曜と火曜であり③の水曜と木曜の境界線がどこかを証明するものを見つければフータローが三玖を見分けられていたかいなかったかを判断できる。
三玖を見分けられているとするなら「早く行くぞ三玖」と言った理由が謎だ。もしかして「お前が昨日(一花の映画の話を)教えてくれた」と言ったのは一花に対してなのではないか?と考えて見つけたのが③の登校シーンと四葉が呼びに来るシーンでの制服の変化。
四葉が夏服から冬服になっておりここが境界とわかります。そして唯一ここを境界として三玖を見分けられていた場合のみすべての台詞と行動に説明に矛盾がでません。
4月11日 四葉が夏服で登校し、一花が映画の話をフータローに伝える
4月12日 チャイムが鳴るシーン以降一花がフータローを騙そうとする。「早く行くぞ三玖」は「三玖ではないことがわかった上で一花の変装につきあっていたからそう言った(つまり一花であることもほぼほぼ察していた)」。「お前が昨日教えてくれたんだろ」は「一花が一花の映画の話を4月11日に教えてくれたんだろ」。武田とトイレに行った後全国一桁イベント。一花が風呂で悩む。
4月13日 本物の三玖に聞いても仕方ないので「昨日のこと」は聞こうとせずに「一昨日のことなんだけど!」と別の話をする。
4月15日 「三玖の様子が変」なのは「明後日のこと」を突然聞いてきたから
修学旅行 一花に「三玖」と言うのは「変装につきあっていた場合フータローは一花に対して『三玖』と言う描写がしたかったから」
そして「いつから変装につきあっていた」とは言っておらずこれは
変化球勝負からと変更できる。
この解釈に不都合な点はすべて削除&変更。
・漫画の一花以外の4人から一花の映画の話を聞くシーンが削除。
・一花の靴下のデザインが若干変わっている
・「一花が一日中ひっぱりだこ」という登校シーンと放課後シーンが1日であったことを示す台詞の削除
・女の戦の一花の変装に気づいていないシーンの削除。
・武田に全国一桁イベントを起こすのが図書室に変更されたのは4月12日の「先に図書室行く」と四葉が宣言した直後のことだから。
・変化球勝負から一花とわかっていた場合修学旅行で鳥居を登り切った後の状況から勘で一花が変装していたとわかった旨の台詞が削除
1.三玖を見分けられておらず一昨日の4月11日に一花が騙そうとした
につながるように解釈しようとした場合
・4月11日学校で四葉が学校で制服を夏服から冬服に着替える
・同じく一花が靴下を履き替える。
・一花が4月11日に騙そうとした後1日半ほどしてようやく12日風呂で後悔する(風呂は日付が12日であることがメッセージから読み取れる)
となりかなり不自然な流れになります。
四葉の夏服が作画ミスの可能性ですがこれはないと思います。理由は私が「日付の変更を証明できるもの」を探してピンポイントで見つけたものだから。探したものがピンポイントで作画ミスで発生、他の不都合シーンも全てたまたま都合よく改変されているというのは可能性がなさすぎる。
他と違ってここはどう頑張っても例え誓いの鐘を四葉と解釈したとしても変化球勝負で騙せていない以上「当たり」のシーンで先に三玖を当てたことになってしまうので三玖ルート以外にはなりえません。感情とか伏線とか一切関係なく明言された基準「最初に見分けた」をクリアできないからです。
よってテーマの理解だとかミスリードだとか云々を超えて時系列的に完全に四葉ルートにするなら矛盾してます。
4.結論
話的に矛盾している変更が入ったと確定してる以上テーマである愛で見分けられるというのは破綻している。そのためこの作品は大して考えられてもいないし考察はしたところで無駄である。が結論かと思われます。少なくとも現状は。
作者が初めから1ルートのつもりだった、というのもまぁ普通に嘘でしょう。その私の結論にケチをつける人もいなさそうです。そもそもどういうわけだか諸々の描写の変更に誰も気づいていなかったっぽいし。やたら持ち上げられてるけど気づいてたら映画の結末に感動もクソもないですよほんと。
(というか深く考えてなくてもブランコ練習とか大切なのは5人でいることとか学級長の噂がないだけで説得力ないと思うんだけどなんで納得されてんだ?)
一応私の評価を逆転させる可能性があるとすれば映画上映期間中に話を変えたものを上映する、だけですかね…
三玖とのデート中につかったありがとうの花を四葉エンドに持ってきてる以上3期で別エンドよりはそっちのほうが可能性はありそうですし。それがなかったら覇穹封神演義すら下回ってるという評価ですね。
※覇穹封神演義:話の順番をシャッフルしたり、仲間にしてない仲間がいつのまにか居たりしたが最後ラスボスを倒していないため倒した旨のモノローグがなくなっており最後だけ整合性自体は取ろうとしていた作品
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