『聖戦』という言葉の近現代史①
こんばんは
突然ですが、皆さんは『聖戦』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
今回は、近代戦争における総力戦の国家間戦争における『聖戦』について紹介します。私の問題意識は、戦争を『聖戦』と当事者である政府が呼んだ瞬間、宗教性を帯びた絶対的な総力戦に変化するということです。
聖戦とは?
耳にして、「えっどんな漢字?」とはならない言葉ですよね。
それもそのはずで、試しに「聖戦」でググっても、ゲームや映画の主題歌のタイトル等が表示されます。多くの人にとっては、そこまでレアな単語でないのでしょう。
さて、なんとなく聞き馴染みのある『聖戦』という言葉は、一体どういう意味を持っているのでしょうか?
精選版 日本国語大辞典で『聖戦』と引くと、① 神聖な戦争、②正義を守るための戦いという意味であると紹介されます。
①神聖な戦争は、非常にイメージがし辛い物と言えるでしょう。私たちは、戦争の悲惨さや残虐さを教育、映像、言伝で知っています。汚れや穢れのない最上級の清潔さを意味する”神聖”に対して、"戦争"という泥臭く、血生臭い行為はあまりにも掛け離れている。
私は映画が好きなので、「西部戦線異常なし」、「プライベート・ライアン」、「シャーヘッド」を戦争でイメージしてしまいます。
では、正義を守るための戦いとなった場合、どうでしょうか?
大まかにいえば、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさが正義と呼べますが、それを守るために戦うことだそうです。※正義の概念は、激ムズなので割愛。
一方、正義を守るということは正義を犯す者、すなわち、不正義の者がいるということです。近年のリベラリズム教育、グローバル化により、価値観が異なる者が存在することは、大体の人がなんとなく理解している価値相対主義。またも、想像から掛け離れた概念の登場です。
ここからは、ニュースにおける『聖戦』についてです。
私が『聖戦』の文字を初めて目にしたのは、中東の自爆テロです。イスラム系過激派が「ジハード」を主張し、時には組織の名前にして、テロを行なう。それは、ニュース番組、記事によっては「聖戦」と訳されていました。
聖戦の始まり
第一次神聖戦争(First Sacred War)は、紀元前595年に起きました。これはギリシャ神話におけるアポロン神をキラ人が蔑ろにしたので隣保同盟がブチギレて戦争になりました。ざっくりな説明で申し訳ないですが、俺の大事な物を傷つけた(様々な利権関係の摩擦により、関係悪化)ので、戦争だ!となったわけです。
第一次神聖戦争が紀元前に起きている時点で、聖戦という名前はとても歴史が古い。当然、はるか昔から存在する名称というのは、様々な言葉で表現されたりします。
聖戦は英語で直訳するとHoly war、上記の神聖戦争はSacred War、十字軍という意味を持つCrusadeは言葉そのものが聖戦という意味合いを持ました。
ただ、今回のテーマにしたい『聖戦』は、総力戦以後の戦争についてです。
戦争形態の変遷
国民国家が国民含む全ての資本を投下する戦争が始めったのは、いや、近現代の国家間戦争を「国家総力戦」という形で概念化されたのは、1935年のドイツの陸軍大将であるエーリヒ・ルーデンドルフが第一次世界大戦を回顧録として記載したことが始まりです。
現代では基本となった国家総力戦という戦争概念をざっくり説明します。私たち自身が想像できる戦争のイメージとはなんでしょうか。
私自身もそうですが、友人らと戦争の経験について話す際、最も最初に登場する人物は、祖父や曾祖父の話です。祖父、曾祖父の出兵というテーマが戦争の経験として話題に出ていく。
この状態は、人類史的に言うと最近のことです。過去、戦争は専門職であった傭兵の仕事であり、素人である国民が行うものでありませんでした。
そう断言しましたが、この言い方は少し誤解があるかもしれません。
国家が領域内に住む人間を国民という形で管理できるようになったのは近現代のことであり、また、それを資源として戦争へ動員するようになったことがわりと最近のことです。
国家総力戦とは、この国家全ての資源を動員する戦争の形態です。まず、国民は大前提ですし、政府の金も、産業構造も、私たちの生活の根幹であるインフラも、ありとあらゆるものが戦争に消費されていきます。
これには、産業革命後の技術発展が大いに関わっていますが、省略します。詳しく知りたい人は、「国家総力体制 PDF」で検索し論文を読みましょう。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyotojewishthought/8/0/8_79/_pdf/-char/en
聖戦の歴史・WWⅠのオスマン帝国
オスマン帝国は、1914年10月29年にロシア帝国の黒海沿岸を襲撃。それに対して、連合国のロシアは、1914年11月2日に宣戦布告。
11月14日、WWⅠに参戦したオスマン帝国のスルタン、メフメト5世はジハード=聖戦を宣言しました。この「聖戦」の宣言は、初めての国家総力体制を用いた戦争であるWWⅠで行われたことで、産業技術を推奨し国民国家の形式を整えていく近現代国家間においても旧時代の産物である宗教的シンボル「聖戦」が適用できる可能性を示しました。
当時のオスマン帝国は、青年トルコ革命により立憲君主制へと移行していたが、不安定な政権の状態が続き、周辺諸国からの領土的野心により危機に瀕していました。
そういった背景から、この「聖戦」の宣言は、斜陽にあったオスマン帝国による威信を取り戻すためのテーゼと言っていいでしょう。また、現在のトルコ民族主義を下地にしたトルコ共和国と異なり、オスマン帝国はオスマン主義(その時は汎イスラム主義)という体制であり、この「聖戦」はそう言った背景から内側の結束という意味だけなく、国家方針の堅持という側面もあるのではないでしょうか?
また、この際に注目ポイントとしては、聖戦を宣言している相手が異なる宗教を信仰する国民の多い国家であるということです。
WWⅠの参戦で、最初にぶつかったのはロシア帝国です。タタール人等のムスリムを内包していますが、基本的に王制がロシア正教なので国家体制として異教徒の国家となります。
また、同盟国の主要な国家は、英国とフランスですので、こちらも聖公会とカトリックなので異教徒の国家です。
このことから、国家における「聖戦」の使用条件として、敵対象が同じ宗教集団でないことが第一に挙げられるのではないでしょうか?
同時に、「聖戦」は国民の結束という国家総力体制に欠かせない部分を担っておりますが、この前提条件は国民の宗教的統一感、国家方針の明確な宗教的スタンスがあり、政教分離体制の立憲主義では成り立たないことが言えます。