対人関係の断捨離について――これからは、好きな人とだけ付き合おう
仏教で、人間のあらゆる苦しみをあらわす「四苦八苦」という仏語のなかに、「怨憎会苦」というものがある。これは、恨み憎んでいる者と会わなければいけない苦しみのことを指す。ぼくたちは今生を終えるまでに、いろんな人と出会い、付き合っていくことになる。なかには気の合う人もいれば、合わない人もいる。一緒にいて居心地がいい人、ストレスを感じてしまう人など、ぼくたちをとりまく人間模様は本当にさまざまだ。
心理学者のアルフレッド・アドラーは、「人間の悩みは、対人関係の悩みである」と提唱している。もし、この世界から対人関係がなくなってしまえば、それこそ宇宙のなかにただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまうからだ。個人だけで完結する悩み、内面の悩みなどというものは存在せず、どんな種類の悩みであれ、そこにはかならず他者の影が介在している(このあたりのことは、岸見一郎氏・古賀史健氏の著書『嫌われる勇気』を読むとわかりやすく理解できる)。
ミニマリズムを実践していくと、モノだけでなく、対人関係についても断捨離する必要性を感じるようになってくる。さすがにモノと同様、最小限の対人関係に……とまではいかないが、冒頭の「怨憎会苦」を感じるような生き方は、なるべく少なくしていったほうが幸せなのは間違いないだろう。つまり、ぼくたちは自分の好きな人とだけ付き合っていくべきなのだ。たとえ、それで誰かに嫌われたって構わない。人生100年。いま自分が何歳で、あとどれくらいの時間が残されているのかを考えれば、貴重な残り時間を嫌いな人や苦手な人のために割くのは非常にもったいないだろう。
ぼくたちは幸せになるために生まれてきた。だから、人生で付き合う人は、自分が好きだと思える人だけでいい。繋がりとか、コネクションとか、ご縁とか、そういった戯言はことごとく無視していい。自分が好きか、嫌いか。たったそれだけを唯一の基準にして決めていいのだ。優しい人に特にありがちなのが、嫌いな人や苦手な人にもいい顔をしたり、愛想笑いをして合わせてしまうことだ。そうやって無理を重ねて相手に気に入られ、好かれたとしても、自分の心は確実に苦しみ、疲弊していく。そんな状態を、到底「幸せ」と呼ぶことはできないだろう。
とはいえ、現実はそんな簡単なものではなく、どうしても関わらなければいけない人というのもまた存在する。友人や知人であれば、こちらから連絡を断つだけで大抵は疎遠になっていくものだが、たとえばそれが家族や会社の関係者だったら、揉めに揉めて縁を切ったり、転職したりしないかぎりは絶対に関っていかざるをえない。そもそも「怨憎会苦」が示す苦しみは、そういった類のものだろう。なので、そんな場合にとっておきの、最強の対処方法をご紹介する。それは、「気にしない」ことである。
気にしない――言うは易く、おこなうは難しに思われるかもしれないが、これは自分の心がけ次第で、意外と実践できてしまうものである。要は、ネガティブな感情を内側に溜め込まないことだ。その人と関わっている時には、(自分のなかで)真正面からは取り合わず、感じたネガティブをすぐにさらっと受け流すイメージで。その人と関わっていない時には、「いま、あんなやつのことであれこれ悩んだって仕方がない」と割り切って、自分がいま本当にやるべきことや、したいことのために気持ちを切り替える。はじめはうまくできなくても、繰り返しトライしていくうちに、だんだん感情をスイッチできるようになってくるだろう。
気にしないということは逃避ではなく、よりよく生きるための決意だ。他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。ぼくたちは、誰にもなににも縛られず、胸を張って幸せになっていいのである。
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