やり直せないこと悔やんでるのは、もうやめようかな。
昔の夢を見た。正確には、昔の続きの夢を見た。あの時ああしていればとか、あんなふうに言わなければよかったとか、そんな後悔をしなかった(もしくは乗り越えた)“if”の世界線の夢。絶対に叶うことはないけれど、あの頃にどうしても欲しかった未来が、その夢の中にはあった。夢から醒めた時、言いようのない喪失感に襲われ、虚無になった自分がいた。どうして、もっとうまくできなかったのだろう。どうして、もっと優しくできなかったのだろう。ずいぶん前のことでも、心はずっと覚えているのだと気づいた。
誰かと生きていくというのは、失敗と後悔の繰り返しだと思う。35年生きた今でさえも、俺はたくさん間違い、たくさん後悔している。毎日帳尻を合わせて、時には気づかないふりをして、どうにかこうにか現在の生活を守り抜いているような感覚でいる。我ながらまるで成長しないが、そもそも成長なんて概念は存在しないのかなとも思う。わかったつもりになっても、繰り返す。痛い思いをしても、繰り返す。人はそういうものなのかもしれない。
互いに生きていてなお、二度と会えない人がいる。物理的に会おうと思えば会えるが、そういうことではなく、心が近しかったあの頃には二度と戻れない関係性の人がいる、ということだ。いま会ったとしても、触れあうことができない。いま話したとしても、笑いあうことができない。誰もが同じだと思うが、俺にもそんな人が、これまでの人生のなかで、たくさんいる。俺はそんな人たちのことを、ずっと忘れることができない。時々SNSやネットで検索しては、「頑張ってるな」とか「元気そうだな」とか思う。中には、ネットですらもたどり着くことができなくなった人もいる。そういう人のことも、ふと思い出しては、「今、どうしてるかな」なんて思う。
たとえもう二度と会えなくても、ずっと共に生きている感覚でいる。話せなくとも、触れられなくとも、わかりあえなくとも、大切に思う気持ちは変わらない。昨日夢に出てきたその人のことも、名前をネットで検索したところ、相変わらず自分の「好き」をずっと追いかけて、生き急ぐように全力で駆け抜けていることがわかり、嬉しかった。そうだよな、あなたはそういう人だったよな。たまんねえぜ。その姿が眩しくて、懐かしくて、とても愛おしくなった。俺も頑張ろうって、負けてらんねえぞって、心が震えた。やり直せないことを悔やんでいるのは、もうやめようって、そう思った。
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