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初めての彼氏の話を書こうとしたら人柄の記憶がなかった話


■馴れ初め

中学生くらいの頃から、ゆいちゃっと系列のチャットに出入りしていた。当初からネット上では“せつな”を名乗っていた。
人のホームページを見るだけだったのに、“元祖ゆいちゃっと”に出入りするようになったきっかけは全く記憶にない。毎日誰かしら居る場を見つけて、なんとなく眺めてそれで十分だと思っていた記憶はある。

“元祖”でチャットに慣れた頃、系列チャットの管理人さんや常連さんから声を掛けられるかたちで、徐々にいろんなチャットに出入りするようになった。
その中でも、当時の私が気に入っていた場が“この世の果てのゆいちゃっと”だった。初めてオフ会にも行ったし、今でもつながりが残っているくらいには仲の良い関係が続いている。
当時のメイン層は20代。兄や姉がいっぱいできたみたいで嬉しかった。一人暮らしの話、就活の話、学問の話、化粧の話、ファッションの話、音楽の話、いろんな話を聞きながら、早く大人になりたいという思いを募らせていたのだった。オフ会にもいつか行きたいなぁと思いながら、人見知りだし無理だろうなとも思っていた。毎晩チャットしてるだけで楽しくて、親と関係ない交友関係があることが気楽だった。

■初対面の日

ある日、自宅から無理なく行ける場所でオフ会やろうっていう話になった。知らない人と一対一で会うよりはマシかなと思いつつ、みんなグルで悪い人だったらどうしようみたいな気持ちがなかったわけでもない。けど、割と長い期間いろんな話してきたし、いざとなれば全力ダッシュで逃げればいいか、みたいな謎理屈で自分を納得させて出かけた。

ど緊張して参加した“この世の果て”オフ会に、お互いに見た目が好みの人がいた。翌日には初めての彼氏になった。

これが吊り橋効果ですどうもありがとうございました。

いや、好きだと思ったから付き合うことになって嬉しかったし、付き合ってる間も楽しかったはずなのだけど、フルネームを思い出すのに半日、下の名前の漢字表記はどうしても思い出せなかった。よく考えたら、チャットでもほとんど絡んでなかった気がする。名前の色がコーラルピンクだったのは覚えている。何ならハンドルネームもいちごの品種っぽかった気がする程度の記憶。
当時彼が23歳だったのはよく覚えている。なぜならそれからしばらく恋愛相手が23歳続きだったから。あと、彼の職業がSEだったのも覚えている。割といろんなものの影響を受けやすかった私は、将来は彼と同じSEになるんだ!と意気込んで理系に進んだし、IT関連にも詳しくなったのだった。
見た目以外の何が好きだったのかはマジで思い出せない。なんかいろいろ話をしたけど、共通の話題が何だったかもわからない。音楽の趣味がDA系だったんだっけな?(うろ覚え)

■お付き合い雑感

とりあえず、付き合ってた頃の記憶とそれに関する雑感を箇条書きに。

  • 交通費以外のデート代は全部出してもらってた。誕生日でも記念日でもないのに、服とか靴とかデートのたびに買ってもらってた。彼氏の財布は私の財布、くらいの誤学習をした。

  • 若かりしアレで、彼の実家でデートしまくってたが、23歳が制服着た女子高生を彼女だと家族に紹介する様子はなかなかシュールだった。若かった。

  • 彼母から「もっと美術館とか行った方がええんちゃうか?」「避妊はちゃんとしーや!」みたいなアドバイスをちょいちょい貰っていた。今ならわかる、ガチアドバイス。いい親だ。

  • ダブルデートで真夏の大阪城に登った。友人カップルに長く付き合うコツみたいなのを聞いた。その数週間後に友人カップルは別れ、友人は他の人とサッサと結婚を決めたことを知る。長く付き合うコツってないんだな、と学習した。

  • イチャイチャからの二段ベッドへの移動がシュールな感じでちょっと面白かった。しかし毎度アレなので、勃起障害なんかな?と思っていろいろ話したら、床おなする人だった。童貞処女にはどうにもできなかった。致さずに終了。

  • 初めての彼氏で浮かれててテンション上がってた記憶はある。連絡もこまめにしてた気もする。付き合ってる最中、特に不満はなかったはず。お互いの最寄り駅は一時間ちょっとあるのに、デートも毎回最寄り駅まで送ってもらってた。

■別れ

付き合い始めて数ヶ月後、“この世の果て”オフ会があった。
“この世の果て”でめちゃくちゃおもろいホームページを作ってた人と初めて会えるので期待してた。彼氏からも、チャットでも面白いけど本物はもっと面白いよ!って言われてたので楽しみにしてた。でも当日、私は緊張しすぎで全然話せず握手だけした(ファン仕草)。自分の手汗がヤバかったけど、憧れの人に会えて嬉しかったし。本物から直接話を聞けただけで十分だった。

帰宅後彼氏と話す中で、「チャットであんなに仲良く喋ってたのにどしたん?」みたいなことを言われた。私は私なりに楽しんでたのを否定されたように感じて、「人見知りなの知ってるやん!無理に決まってるのに何でそんなこと言うん?!」ってブチギレて別れた。

コンプレックスを刺激されて別れるとか、理不尽すぎる。思春期やばいな。若すぎて眩しいぜ!

その後しばらく“この世の果て”には顔を出さなかった。個人で仲良くしているメンツから、謝りたいこと、仲直りしたいことを伝え聞くこともしばしばあった。
でも、よりを戻す気にはなれなかった。というか、よりを戻そうと思うほど、彼に固執する理由が私にはなかった。吊り橋効果で始まった恋愛は、冷めるのも早かった。

今思えば、当時の私は彼氏彼女という肩書きが嬉しかっただけだった。
若かったとはいえ、相手の内面と向き合うほどの深い付き合いはできてなかったのは、反省。

■後日談

  1. 数年後、“この世の果て”メンツを含めて久しぶりに会う機会があった。お互い大人の対応をした。付き合っていた当日は関西に居たけど、転職して関東に転居して妻子がいた。床おなの膣内射精障害治ったんやな。よかったな。

  2. めちゃくちゃファンだった人には恋人がいた。次会う機会があればもっと仲良くなりたいなと思っていたけど、会える機会はなかった。数ヶ月後、スノボで頚椎骨折したと聞いた。人見知りとか言い訳してないで、オフ会で会った時にもっと話しておけば良かった。


“この世の果て”での初めての彼氏との別れと前後して、某管理人さんから別のプライベートチャットに誘われて、また次の恋が始まる。それはまた、別のお話。

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